2011年7月24日日曜日

Memory of HeeJung Hong

HeeJungという私と同い年の友人がいて、彼女の訃報が届いたのは今朝でした。

正確に言えば、20日に携帯メールに"Funeral ceremony for HeeJung Hong"という件名で、葬儀の場所と時間が送られて来ていたのですが、彼女は写真家/アーティストであり、その可愛らしい顔とは裏腹に、常に世の中に対して疑問を投げかけるような作風であったために、私はこの招待状も完全に彼女の新しいアート展示オープニングかと思っていたのです。

場所はフラッシングと言ってクイーンズの果てのような場所、普段の私ならば99%、遠慮するところでしたが、今月頭に彼女から「びっくりニュース!私、9月あたりに韓国に帰ることになったの。エミコchan、なにがなんでもその前に会わなきゃ駄目だよ!!」とメールを貰っていたので、もしかして予定が少し早まって、送別会を葬儀屋でやることにしたのかな、変わってるけどヒジョンらしいや...確か23日、今日だったなと思い、携帯メールを返信しました。「今夜のって、新しいアート展示なの?なににせよ、もうすぐ韓国に帰っちゃうんだから会いに行くよ!」と。しばらく待っても返信がないので、彼女にしては珍しいな、でも準備で忙しいのだろうかと思いつつ、何か腑に落ちない感じがしたので、Facebookを開いてみた所、彼女のページは友人達によるメッセージで埋め尽くされていました。殆ど全てが韓国語だったのですが、時折挟まれるヒジョンの病室での写真と、英語でのコメント〜"I will miss you..."〜を見ているうちに、「この"miss"はNYから居なくなるという意味ではない?まさか...」 極めつけが病院で撮影したと思われるビデオレターでした。これもまた、韓国語で話しているので何を言っているのかはわからないのですが、その努めて明るく、笑顔で話す彼女を見ている内に、何かもの凄く重く冷たいずしんとした感覚を胸に感じました。すぐにヒジョンに電話をした所、留守電になりました。その時ようやく、原因はわからないけど、ヒジョンはほんとに死んでしまったんだ、と理解しました。
さきほど聞いた所によると、今月半ばに胃の痛みを感じて病院へ行ったところ、末期の肝臓ガンで、すぐに手術をしたものの、容態が悪化し、翌日の午後には投薬で眠るように息を引き取ったとの事でした。

ヒジョンとの出会いは約3年前、英語学校でクラスメイトになったことでした。
ビスコのパッケージのような童顔の彼女が可愛くて、授業中にプリント用紙の端っこにこっそり似顔絵を描いては、ちぎり渡して笑わせたものでした。私がその学校から離れた後も、Flatiron地区にあるAntholopologieというお店で買い物中にバッタリ、それから暫くして、彼女がうちの近所のイタリアレストランのテラス席で食事をしているところをたまたま私が通りかかってバッタリ、それから32丁目のコリアン街にある公園を私が無心で散歩している時にもバッタリ、と、「私達って何かあるね〜」と面白がっていました。そして、バッタリ会う時は必ず、お互い何か、悩みと言うよりも、自分とはちょっと違う角度から状況を見てもらって、スッキリして笑顔で背中を押し合う、そんな人を求めている時で、そして彼女は私にとってその役にこの上なくぴったりの人でした。まるで困った時にひょこっと現われるイタズラ好きの妖精みたいな子だな、とも思っていました。いつもニコニコ、コロコロと笑って、強い優しさのある、なにか達観しているような子でした。お互いのNYで達成したいことの話、男の子の話、家族の話、好きな食べ物の話、それから勿論くだらないことまで、3分に1度は笑い話を混ぜながら、何でも話しました。

 葬儀場へは大体ブルックリンの家から1時間半くらいかな、と思って出発したものの、途中乗り換えを間違え(LIRRという鉄道を使うべき所を7線の鈍行に乗ってしまった)、2時間以上もかかってしまいました。Flushingという、地下鉄ではクイーンズの終点の駅からさらにLIRRで4駅、Broadwayという聞いた事も行った事もない駅に辿り着いた時は辺りが暗くなっていました。そこから(地図を持っているのに)さらに少し迷って、ようやく着くと...葬儀は終わっていました。だーれも居ない真っ暗な、ドアすら開かない葬儀場の前で自分に「なにやってんだか、バカ」とため息をつきました。対面したかった。あんなに会いたいと言ってくれてたのに。でもきっと、ヒジョンはそんなマヌケな私を見て、"Emiko-chan, you are always like that! Even at my funeral! You clumsy Emiko...".と笑っているんだろうなと思ったら、なんだか「へへへ」と小さく笑えてきました。

帰りは約1時間はマンハッタン行きの列車が来ないというので、駅の横にあった殆ど英語の通じない韓国料理屋に入りました。もうとにかく、すごく辛いものが食べたい気分だったので、スパイシー・シーフードヌードルを注文。
フラッシングは巨大な韓国街でもあるので、さすがに美味しいなと夢中でフーフーたいらげつつ、韓国人でありながらキムチや韓国料理が苦手だったヒジョンを想いました。私は韓国料理が大好きなので、「私の方がよっぽどコリアンかもね。」と笑い合ったものでした。

帰りは間違えずに、早くマンハッタンに着いたので、Penn Stationから今度はマンハッタンのコリアンタウン、32番街まで歩きました。ヒジョンは甘いものが好きだったっけな、と思い出してたら食べたくなっちゃって、コリアンベーカリーでクリームパンを買って、歩きながら食べました。通りかかったコリアンカフェの前でも「ヒジョン、ここのホット・サツマイモ・ラテも好きだったな」と思いましたが、熱中症で死者も出ている最近のNY、心の中で「ごめんヒジョン、今度涼しくなったら飲むわ」と謝りながら通り過ぎました。


彼女は私がこれまでの人生で会った人達の中でもとくに素晴らしく、間違いなく一生忘れない女の子です。出会えた事、本当に良かったです。