2011年8月27日土曜日

孔雀の家出

 「ナイト・オン・ザ・プラネット」(原題は"Night on Earth")という、ジム・ジャームッシュが監督したオムニバス映画がある。
パリ、ヘルシンキ、ローマ、ロサンゼルス、ニューヨークを舞台に、タクシードライバーと乗客とのやり取り/人間模様を描いたもので、10代の頃に観て面白いと思った映画のひとつである。

現実に、タクシーという乗り物は、バスや電車と違ってドライバーと乗客との間に会話が生まれる確率がとても高い。
両者の組み合わせの偶然性と、ランダムな会話から生まれる物語の数を思うと、くじを引くような気持ちで手を挙げてしまう。

ニューヨークのタクシー、通称「イエローキャブ」のドライバーは、その運転の乱暴さと感じの悪さで悪名高い。確かにそれは事実なのだが、運良く「アタリ」のドライバーに当たれば、目的地に着くまでの間に、「ナイト・オン・ザ・プラネット」に匹敵する脚本がスラスラと書けそうな程の面白い話を聞く事も出来る。

私は基本的には、東京でもニューヨークでも、タクシーでは窓から流れる景色を静かに観て過ごすのが好きで、自分からはあまり話しかけないのだが、お喋り好きで/キャラクターが濃く/話が面白い、つまり「アタリ」のドライバーの車を引いた時には、面白い映画を観るように、前のめり気味になって話を聞いてしまう。

最近は幸運にも「アタリ」のドライバーに当たる率が高い。


つい先日のこと。

ルームメイトのNちゃんとメトロポリタン美術館へ行った帰り、友人アーティストのギャラリーオープニングまで時間があったので、ダイナーでお茶をすることになった。店に入った途端、土砂降りになったので、しばらく飲み物1杯でねばって夕立が過ぎるのを待っていたが、やむ気配がないのでタクシーで駅まで行く事になった。

このドライバーが、久々の「アタリ」であった。

そのインド人の運転手(名前は失念、それどころか名前を書いた紙を最後に渡されたのに失くした)は、乗り込んだ瞬間から「お喋りタイプ」に分類できた。昔日本へ行った事があり、その時に10人の女性に求婚された、だが自分は一つの場所に居られないたちだから全員振ったのだ、等々、ハッタリにも自慢にも聞こえる話だがなぜか鬱陶しく感じさせないという才能の持ち主だった。そして、セントラルパークの横の5番街へさしかかった時のこと。「知ってるか?昨日のクジャクの件」というので、"No, what happened?"と聞くと、インド訛りの英語で、その奇妙で美しい事件の顛末を話してくれた。

前日のこと、セントラルパークには小規模な動物園があるのだが、そこで飼っている孔雀が、何のはずみでか逃亡したらしい。それも、飛んで。第一に、孔雀のあのゴージャスな羽根は魅せる為のものであって、飛ぶ為には機能しないと思い込んでいたので、もうそこで前のめりになった。

とはいえ、やはりこの玉虫色の美しい羽根を持つ鳥は、遠くへは飛べないようで、彼(♂の孔雀との事、つまり、より美しく派手な羽根を持つ方)の選んだ逃亡先は、道路を挟んだすぐ向かいの高級アパートの5階の窓のフチ。そして、そこに何と5時間も佇んでいたという。その間、近隣の住民から旅行客まで、その孔雀の一挙一動に目が釘付けだったのは言うまでもない。

帰宅後、早速"Peacock/escape/Central Park"で検索をかけてみた所、NY TimesからDaily Newsまでこぞってこの珍妙な事件を記事にしていた。
中でも、どこの新聞社か忘れてしまったが、あえてこの孔雀ではなく、それを見上げる人々の顔を撮り集めた記事が面白かった。ぽかんと放心して口を空けている人、iphoneで写真を(恐らくTwitterで実況中継)撮るのに忙しい人、やれやれまた変なことが起きているぞとどこか呆れ顔の人等々、それぞれの反応のバリエーションの豊富さに「ああ、ニューヨークらしい。」と満足した。

そして5時間もの間、ニューヨーカー達の注目を思う存分ひとり占めした後、家出孔雀は再び飛んで「マイホーム」に戻ったそうである。

こんなこぼれ話が聞けるのもまた、ニューヨーク・イエローキャブの良い所。

また「アタリ」が引けますように。

そして、いつか孔雀様のつかの間の逃亡先に選ばれるような素敵なアパートに住めますように。



P.S.ニューヨークでは大型ハリケーンが到来するというので、明日は地下鉄も止まります。今夜はまさに嵐の前の静けさ。「週末なのにどこにも行かない」んじゃなくて「行けない」妙な安心感を逆手に、活版印刷の続きと、読書と映画に精を出したい、などど呑気に構えていますが、それも窓が割れたり天上が落っこちてきたり浸水しなければの事。私はサバイブするのに妙な根拠のない自信がありますが、非難区域の皆様、どうかお気をつけ下さい!ドンと来い、アイリーン!


2011年8月3日水曜日

シビルとの思い出

今日はマンハッタンに用事があったので、帰りに日系スーパー「サンライズマート」へ立ち寄り、素麺に茄子、大葉などで埋まって行く買い物かごを見て夏を実感。

サンライズマートの下にはアート関連の本が充実した良い本屋があるので、ここにもついでに立ち寄って、ニューヨークの5つのボロー〜Manhattan, the Bronx, Brooklyn, Queens, Staten Island〜の多種多様な店の看板を撮りまとめた写真集を座り読み(椅子があったので)。

それからユニオンスクエアまで歩く途中、足はSTRAND BOOK STOREの方向へ。
と言っても、今回は立寄らなかった。

98年の春、1年間ニューヨークに留学させてもらっていた際に、アパート探しをする半月ほどの間、父が昔アメリカで勤務していた時の同僚の知人「シビルさん」のアパートにお世話になっていたのだが、それがSTRANDの横のビルだった。
12丁目の4アベニューの77番地。今では考えられない程の恵まれた立地である。

「ああ、ここに居たっけな」と思いながら見上げると、年月の層に埋もれていた記憶が蘇って来た。

まず、そのお婆さん〜シビルさん〜は、初めて会った時、「ああ、この人は相当の偏屈者だな」とわかった。基本、笑わないし、部屋がとても汚い、というかやけに散らかっていた。
夫はなく、死別した訳でもなく、生涯1人者のようだった。

パスタを作るけど、食べますかと聞くと、「私はバターと塩だけの味付けで。それ以外は食べない。」と言う。太るのを気にしていると言う割に(すでにかなり太っていらしたが..)、夜中にバケツ程の大きさのアイスクリームを毎晩、半分くらい平らげていた。「あの...それって、、太らないの?」とおそるおそる聞くと、「見てご覧、エミコ。これはTofuty(トーフーティ)っていうアイスで、トーフで出来ているから安心なんだよ。ガハハ。」と自信たっぷりに言うのには泡を吹いた。

足が悪いので、私の腕を取って歩くのだが、基本的には杖を使って文句を言いながらもガシガシ歩く。ある時2人で歩いていると、赤信号なのに構わずズイズイ歩いて行く。ニューヨークでは警察でさえ信号無視は日常茶飯事で、その代わり、ちゃんと車が来ないかは皆見ている。(だから、逆に事故が少ないと聞いた事がある。)だが、シビルは車も全く見ていない。案の定キャブがバーッと走って来て、シビルの前で急ブレーキを踏んだ。普通のお婆さんならうろたえる所だが、そうはいかないのがシビルさん。
持っていた杖をタクシーのボンネットにバシッ!バシッ!と打ち付けつつ、「気をつけろ!バカもの!」と怒鳴り散らしていた。これには衝撃を受けた。「さっ、エミコ、行くよ。腕!かしな!」と引っ張られつつ、「ニューヨーカーってたくましい...」という観念が私に植え付けられた。

そして、ひとり者のおばあさんには欠かせないアイテムとして、猫が2匹居た。これが致命的で、私は重度の猫アレルギーなのだ。とはいえ、不思議と長毛種は平気で、日本の実家ではタヌキそっくりの「ポンちゃん」という異常に可愛いヒマラヤンと8年間も一緒に暮らして平気だった。だが、困った事にシビルさん家の猫ちゃん達は、揃って短毛で、私は「こりゃ死ぬ」と思った。案の定、初日の夜から、私の個室には猫は入らないようにしたものの、前日まで、というか、それまで何年も猫が居た部屋には、掃除しても掃除しても目には見えない無数の猫毛が宙を浮遊しており、私を苦しめた。早速喘息の症状が出て、肺をヒューヒュー言わせながら、「一刻も早く猫を窓から放り...じゃなくて私が出て行かなければ...」と思った。

その頃はインターネットもなく、携帯電話もなく、気管支ヒューヒューが邪魔して寝付けないので、お昼にユニオンスクエアにあるBarnes & Nobleという本屋に入っているCDショップで買ったCDをプレイヤーに入れて、その中でもお気に入りだった曲を何十回も、シビルを起こさないよう小さい音量でかけた。それはFrente!というバンドのBizzare Love Triangleという曲だった。(New Orderのカバー曲)

窓の外を見ると、今はChase Bankの醜いビルに遮られて見えなくなってしまった、Carl Fischer という楽譜専門の出版社の音符のマークが特徴のビルの向こうで、空が白みかけていた。ホームシックで少し涙を流しつつも、いつの間にか眠りに落ちていた。

次の日は、喘息が本当に苦しいという事で、どうやって見つけたか、コリアンタウンにある中国人ドクターの医院(今思えば確実にモグリ)という怪しさ満点の所へワラをもつかむ思いで行った。なぜここを選んだのか、全く思い出せないが、電話帳で調べたか、シビルの入れ知恵、しか思い当たらない。

中国人ドクターに症状を説明し、怪しい英語で何かを返された後、「ハイ、じゃオシリを出しなさい」と言われた。「えっ。今なんて...?ホワ〜イ!???なぜに??」である。でも、目付きと口調から、これは変な意味ではない、と判断した私は大人しくオシリをさし出した。すると、横に居た看護婦さんが「これをウッチマース」と、見た事もないような大きく太い注射を出すではないか。
逃げ出そうかとも思ったが、もうどうにでもなれ、という心境でもあったので、覚悟を決めた。看護婦がオシリの頬っぺたにブスリ...。
この注射が、後にも先にも比べるもののない程、痛かった。
そして、その日からシビルの家を出るまでの半月の間、喘息はぴたりと治まった。猫を始末せずにして、である。

あの時オシリに打たれたものは何だったのだろうか。
それは知る由もない。

そして、シビルと猫達は今もあのSTRANDの横に住んでいるのだろうか。
これは、知る由はあるけれど、、勇気がない。


2011年8月2日火曜日

逆フラッシュバックと「痛い!寒い!ワーイ!」

先日、メキシカンレストランで、仲良しの友人2人と食事をしていた時のこと。

Mちゃん(10数年来の親友)が「赤毛のアンの舞台ってどこだっけ?あそこにねえ、行ってみたくてしょうがないんだ。...ね、年を取ったらみんなであそこに家を買って、好きな時に住むっていうのはどう?」

私「プリンス・エドワード島!私も赤毛のアン大好きで、何度も読んだよ。いいね、みんなで住もうか。まあ、70才くらいになったらね。」

Mちゃん「あなたのトレーニングルームもちゃんと作るからね!」

Kくん 「...俺、そんなおじいさんになってもまだ食い続けなきゃいけないのかよっ...!!」(Kくんは食べる事が職業の特殊なアスリートなのです)

一同、一瞬その図を想像して沈黙の後、大笑いしました。

と同時に、一瞬みんなの「老後」に思いを飛ばしていた私は、その未来の地点から「いまの自分たち」を振り返ってみて、懐かしくて胸が締め付けられるという妙な感覚を覚えました。

「みんな、若かったね...」と。

 この感覚は実は初めてではなく、確か高校1年のお正月に、友人達と初詣などをした帰り道の渋谷から実家へ帰るバスの中で、それから友人と居酒屋などでたわいも無い会話をしている時に、あるいは恋に落ちてしまった時なんかに、ふと感じてきました。未来から「いま」を振り返って見る、「逆フラッシュバック」とでも言うのでしょうか。。


私は18才の時にも1年間NYへ留学していたのですが、当時、5、6つ年上の彼氏がいて、彼の精神年齢はともかく...色んなことを私よりも知っている(...ように見えた)という点で当時は夢中になっていました。そして、「ナニナニっていう芸能人が好きって言ってたけど、私全然にてない...」などと、今では信じられないクッダラナイことで毎日ヤキモキしたりしていました。

ある日、日本から彼の友人カップルが遊びに来た時の事。その2人は、彼女がちょうど今の私くらいの年〜32、3才で「恋愛にこなれた感じの素敵なお姉さん」、彼氏は25才くらいで「年にしては落ち着いている」というカップルでした。
男性陣が近所に出かけて行って、彼女と2人きりになった瞬間、私はその大人びたお姉さまに今だ!とばかりに質問を浴びせかけました。
「彼氏もモテそうなのに、どうしたらそんなに落ち着いていられるんですか?不安とかはないのですか?私もう、ヤキモキするの嫌なんです。どうか平静でいられる秘訣を教えて下さい!」と。
 その時に彼女が放った一言が忘れられません。

「えみこちゃん、私はね、男は浮気したり、常に遊びたい生き物だと思うのよ。だから◯◯◯(彼氏の名前)が私に隠れて浮気したり、風俗に行ってるのも知ってるけど、全然なんとも思わないわ。えみこちゃんもそういうスタンスでつきあって行けば、だんだん平気に、なんでも許せるようになっちゃうわよ。」

私は頭の中がパッと真っ白になり、クラっとし、同時に凄い嫌悪感がゾワゾワと沸き起こりました。

「この人は、カッコいい女だと思っていたけど、カッコ悪い。」と思いました。
「そんな、伸びきったパンツのゴムひもみたいにユルい女になるくらいなら、疲れるけどまだヤキモキした方がいいわい!」というセリフも心の中で叫んでいました。
本当に、自分の好きな人が浮気したり自分以外の人に触っても、悲しくならないの?そこがまず、解りませんでした。今となれば、この彼女も、そういうスタンスでいることがカッコいいと思っている人だっただけで、心の中では色々と辛かったんだろうな、と思えますが。
 
まあ、そういうならばと、必殺・逆フラッシュバックを用いて32才になった自分の視点から18才の自分を振り返ってみましたが、その時想像した32才の私も、「この人の言う事は鵜呑みにしちゃ駄目」と言っていました。

私は自分がヤキモキしたりする事からは「解放」はされたかったけど(疲れるし、そんな自分がイヤだから)、自分の本当の感情に嘘を付いたり、見て見ぬ振りをする事で、感情を「鈍らせること/鈍いフリをすること」が方法の一つだとは、考えてもいませんでした。そんなものが「大人の恋愛」なら、そしてそれがクールとされるなら、この世は終わってるな、とも。

その時に、「私は今18だけど、今感じている全ての感情は、きっと年を取ってから振り返ればそりゃ子供じみているだろうし、間違っているかもしれない。でも、無理して背伸びして、達観したようなフリをするのはやめよう。」と決めました。「痛みを麻痺させる麻酔薬があればそりゃあ楽だけど、そんなつまらない人生はごめんだ。」と。

それから10数年、その時の「お姉さま」の年になり、18才だった当時、恋愛に限らず複雑にもつれていた感情の糸は大方解きほぐされ、シンプルになり、生きるのが随分と楽になりました。そして重要なのは、それが汚水も濁水も清水も含めて、時間をかけてろ過されて純水になったゆえの「シンプル」であって、決してもとから純水(or 純粋)だったワケではないこと、心を誤摩化したり鈍らせたりのズルはせずに成し得たことだということ、です。
(そう考えると、年を取れば取る程、清濁合わさった果てのピュアになる、という現象も、納得がいきます。)

それはただ単に、バカみたいに、悲しい事や辛い事と取っ組み合ったり(避けたかったけど、向こうからやって来るもんですから...)、泣いたり笑ったり飛び跳ねたりボーッとしたり、毎日毎日、喜怒哀楽をただただ感じていた、というだけですが。誰もがやっていることですね。結局これからも、ズルや回り道は出来なくて、その方法しかないのかな、やれやれ、長くてしんどい道だな、とは思いますが。

「ベルリン・天使の詩」という映画の中で、人間になりたい天使が「永遠の命」を代償に人間になる場面があります。大学の授業で見たのが最後なので不確かな記憶ですが、たしか、人間になった瞬間、「痛い!寒い!ワーイ!」と言って狂喜乱舞していた気がします。(ほんとにそんな映画だっけ...間違ってたらごめんなさい。。)

永遠の命と引き換えにしても、「感覚、感情」があって、痛さでも寒さでも、それを「感じられる」ということがどれだけ幸せなことか、という考え方もあるんだということを、この時知りました。

この映画を観たのもまた、エミコ、18才の夏でした。


追記:
死後から「今」に逆フラッシュバックしてみれば、「いやー、あン時はどん底で痛くて辛かったけど、雲の上で何にも感じない今よりは面白かったなー。」と思うかも知れません。
そういえば、三池崇史監督の「13人の刺客」という映画の中でも、稲垣吾郎演じる暴君が、斬られて、死の間際に痛みを感じることで初めて「生」を実感するシーンが印象的でした。