2012年12月30日日曜日

Making Love In The Rain


雨ダス。


 
"Making Love In The Rain"
Herb Alpert feat. Lisa Keith & Janet Jackson

2012年12月29日土曜日

東京、ハマグリ汁の底




初台にあるオペラシティは、空気感と入っている美術館が好きでたまに訪れる。
今日はふと高い所へ行きたい気分に駆られ、53階にある喫茶店に初めて行ってみた。
東京は、こんなハマグリ汁のような曇り空が似合うと思う。
灰色の中にポツンポツンと、テールランプや航空障害灯の赤が映える。

帰りは小雨の中、早足で家まで歩いた。
     
なんとなく、今日の空模様と気分に合った曲。



佐藤博 - I WANT TO HOLD YOUR HAND


 
尾崎亜美 - オリビアを聴きながら

2012年12月28日金曜日

〜小さな旅〜熱海編


今回の記事は、こちらのBGMがおススメとなっております。

デューク・エイセス「女ひとり」
「女ひとり」を「女ふたり」に、それから
「京都ぉ〜♩」を「熱海ぃ〜♩」に変えてお楽しみ下さい。 


11月の後半に、同い年の従姉妹のマキちゃんと熱海へ温泉旅行に行ってきました。
温泉へ行くことは、ニューヨークで夢を見続けた事ナンバーワンでしたので、行きの列車の中から、既に頭にタオルを乗せたいくらいキブンが盛り上がっていました。

マキちゃんは横浜在住なので、熱海駅で待ち合わせをしました。(遠い駅で待ち合わせ、って新鮮で良かったな〜。全然違うけど、ちょっと駆け落ちみたいで、、なんちゃって!)

待ち合わせはお昼時だったので、早速マキちゃんが調べておいてくれた定食屋さんでお刺身定食を。 これまた夢に見た事。「日本ていいねえ〜!日本人で良かったっ!」と連呼しながら頂きました。

それからホテルの送迎バスに乗って、チェックイン。
ここで凄いことが。マキちゃんが手続きをしてくれていたので、私は横でコンシェルジュの説明やらを軽く上の空で聞いていたのですが、上品な口調の説明の中で唐突に「ホテルの近くには.....ヒホーカンなどが...」 と聞こえて来るや否や、空中遊泳していた私の意識がビシッと入りました。「え...と?ヒホーカン、ですか...?」と確かめる私に、上品な笑顔を1ミリも崩すことなく「はい、すぐ近くの山の上にはヒホーカンがございます。」と言うではないか。マキちゃんも「おお〜」と言ったので、「マキちゃん、さては私がB級スポット好きだからって、わざわざこのホテルを選んだんだな、まったくもう...。どんだけ〜?(古)」と思い、手続きを終えたマキちゃんに「ちょっとちょっと、秘宝館てさぁ!(>v<)」と言うと、マキちゃん「ヒホーカンて、なに...?」と。「え?ちょっと!だってさっき、おお〜って言ったじゃない!」と言うと、「いや、何かわかんないけど何となく...」って。呆れ顔で(どっちが)一通り(スラスラと)説明すると、マキちゃん「ひぃ〜!」という正しい反応。でもねマキちゃん、このホテルを選んだが運の尽き、ヒホるよ!という事でロープウェイに乗りました。

山頂は、熱海の町が見渡せる展望台となっており、撮影大好き(自分撮影にはあまり興味なし)の二人はしばしカメラ小僧のようにアングルを変えてはカシャ、を続けていました。一通りいい絵が撮れた所で、「そろそろ、ヒホろうか」と中へ。
私は都築響一さんの著書で秘宝館なるものの存在を知ったのですが、実際に来たのは初めてでした。マキちゃん、夢がまた一つ叶ったよ、ありがとう。
館内は撮影禁止だったので、お見せ出来ないのが残念ですが、、、皆さん、機会があれば是非行ってみて下さい。潰れてしまう前に。あれほどまでに一度に「昭和」「色褪せ感」「さびれ」「めちゃくちゃ」「B級」を感じた事はありません。 
例えば、熱海と言えばの「金色夜叉」の設定を勝手に秘宝館用に変え、貫一とお宮の仕掛け人形がジーコジーコと動くコーナーがあったのですが、年季が入り過ぎてめちゃくちゃシュール。コワい...。他にも爆笑するか絶句するしかない仕掛けが満載で、出る時にはクラクラ。いや〜、凄かった!

夜は、例のコンシェルジュが手渡してくれた熱海の地図を片手にブラブラと散歩しつつ、目星をつけておいたお魚の美味しい小料理屋さんへ。ここが、大当たりでした。新鮮なカワハギのお刺身を濃厚な肝と共に頂く幸せったら...。日本酒(私だけ)を頂きながら、会っていなかった時を高速で取り戻すべく、女ふたり、お喋りも尽きません。気がつくと閉店時間。
いい気分で夜道を歩きながら、まだこの旅のメインである「温泉」というさらなる幸せが残っている事に気付く。浴衣に着替え、いざ!私は数年前まで、体温が上がるとじんましんが出るという嫌な体質だったのですが、これもいつの間にか治ったようで、心行くまでお湯を愉しむことが出来ました。露天もあり、キリリと冷えた外気と湯けむりの立つ温泉のコントラストを堪能しつつ、「長いこと夢見て来た事が、今ここで起こっている、、」と実感していました。

念のため、ハイボールの缶とオツマミを買って置いたのですが、湯上がりにベランダから見る熱海の夜景が素敵で、なんだかフクフクと満足してしまい、結局飲まずに床に就きました。

翌日は、ホテルの朝食を終え、チェックアウトしてから、熱海の町を散策することに。
熱海が推してる「五月みどりの店」なるものにも入り、想像通りの世界観にヒジョーに満足しました。(お花が沢山くっつけられたティッシュボックスカバー等...)

それから、「お寺巡りしよう」ということになり、迷った末に辿り着いた場所でオロオロしていると、品の良い女性が「あなた達、観光で来て下さったの?」と声をかけて来たので、お寺に行きたいのですが、と言うと「どうぞこちらへ」と案内してくれました。この方は「温泉寺」というお寺の、奥様でした。お庭の樹齢千年の紅葉や大きなソテツが、お寺に重厚感を与えていて、マキちゃんとしきりに「いいお寺ですねえ〜」と言っていると、立ち話もなんだから上がって、とお茶とお菓子でもてなして下さいました。聞けば、息子さんが悩みに悩んだ末、お父さんと同じお坊さんの道を選び、今は7年目の修行中との事でした。そして臨済宗は「他力本願」ではなく「自力本願」なので、修行内容もとても厳しいとの事。その他、色んな興味深いお話を聞いていて、「うわあ、自分と同い年くらいなのに、そんなにストイックな生き方をしている人がいるんだ...」と身の引き締まる思いで背筋が伸びました。(←お饅頭をモグモグしながら)
「今は木を植え替えている所だから、来年またいらしてね」とのことなので、次にまた訪れるのが楽しみです。いい出会いだったなあ〜。

熱海は、80年代に会社の団体旅行ブームなどで隆盛期を迎え、 今は大分落ち着いた感じでしたが、「ヒホーカン」を始め、その色褪せ感がまたいい感じの温泉地でした。

温泉、お刺身の夢に加え、図らずもヒホーカン、まで叶ってしまった。
旅の醍醐味は思わぬ出会いとハプニングであると、実感した旅でした。


それでは〆に、この曲を...。これまた熱海と関係ないですが!

小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」

2012年12月24日月曜日

Do They Know It's Christmas?...I didn't!

 
Band Aid "Do They Know It's Christmas"1984

「Wジョージ(ボーイ・ジョージ&ジョージ・マイケル)に100点」と言う姉。
BandaidってWe Are The Worldの前だったんですね...!
皆、髪がゴージャスだなあ...
あっ!フィル・コリンズちゃん以外...( ´艸`)
あと、ポール・ヤング様のアゴ周りが
あまりヤングじゃない...。 

なんにせよ、、、

メリークリスマ〜ス☆


おまけ:悪口を言った二人への償いとして一曲ずつ載せてあげよう。 

 
 
Phil Collins "In The Air Tonight"
  
 
Paul Young "Everytime You Go Away"

2012年12月22日土曜日

lucky cloud, your sky, a little rain

Arthur Russell "Lucky cloud"


Lucky cloud
your sky
A little rain
A lot of fun
One kiss and
I go overboard


東京は雨空
世界の終わりは来なかったように見えるけど、
ほんとは昨日までの世界は死滅していて、
今日から新しい世界の始まりだ


2012年12月21日金曜日

Merry Christmas, Mr. Lawrence

 

昨夜(12月19日)は、日本でパッケージデザイナーとして勤めていた頃に大変お世話になったクライアントの方(色んな方にお世話になりっぱなしですね...)のお誘いを受け、赤阪ACTシアターで待ち合わせをしました。サプライズとの事で、敢えて何も調べずに向かったのですが、ドアを開けてびっくり、なんと坂本龍一トリオの公演でした。その前日も当日も、"Merry Christmas, Mr Lawrence"を何度も聴いていたので、先日の "I Saw The Light" に続く共時性に、鳥肌が立ちました。
坂本龍一氏はニューヨーク在住なのにも関わらず、私は一度も演奏を観た事がなく、まさか日本で観られる事になるとは、、感動もひとしおでした。
彼の曲と言えば、正直 "Merry Christmas〜"しか知らなかったので、チェロとヴァイオリンとピアノで構成された実験的な曲の数々に驚き、魅了されました。




"Merry Christmas, Mr. Lawrence"の演奏が始まると、舞台をチラチラと照らす、雪を模した仄白い照明に、私は先日名古屋で見た真夜中の雪を重ねていました。雲がそのまま千切れて舞い落ちて来たような雪。音もなく、ただしんしんと、帽子にも肩にも屋根にもポストにも車道にも猫の上にもおんなじに乗っかって行く。言葉は雪に吸い取られ、そして雪と一緒に溶けて行った。


 
"Walking In The Air" from The Snowman




明日は ホットワインを作ろう。









2012年12月19日水曜日

〜小さな旅〜岐阜編


今回の記事は、こちらの名曲をBGMにお楽しみ下さい...☆

 NHK「小さな旅」メインテーマ 大野雄二

私が初めて岐阜を訪れたのは、中学一年生の時でした。飛騨高山にある美術学校で石膏像をデッサン等をして、そういう部分を伸ばすという目的だったと思います。
母と二人での旅のハズが、母の「海の生物を観察しに行くツアー」か何かと日程が1日被ってしまい、行きはイキナリ私一人で、となりました。おどおどしながら新幹線に乗り、飛騨高山の「のぶた」(信田であり、野ブタではない...)という民宿に、一人で泊まりました。夜、淋しさを紛らわす為に廊下にあった本棚の漫画に手を伸ばし、表紙の様子から不穏なものを感じてはいたものの、「エイッ!」と開いてみると、いきなり世にも恐ろしい絵が目に飛び込んで来ました。後になって、それが楳図かずおの「まことちゃん」であった事を知るのですが、これがトラウマになったことは言うまでもありません。さらに一人肝試しは続きました。恐怖と目を合わせないように布団にもぐっていた所、今度は静かな廊下を大量の坊主頭の男達が「えっさ、えっさ」と走り過ぎて行くではありませんか...!ま・よ・な・か・に!(とはいえ子供だったので恐らく10時くらいだと思いますが...)恐怖のあまり失神してしまったのか、その後の記憶がありませんが、翌朝、食堂に部活の坊主頭達が居るのをを確認して「オバケじゃなかったんだ...」と、ひと安心したのを覚えています。この初日の恐怖が濃厚過ぎて、翌日からは母も合流し、コントラスト強めで飛騨高山を楽しむことができました。そんな鮮烈な岐阜デビューから20年余り、ニューヨークでの元ルームメイト姉妹が岐阜の出身で、ちょうど帰国が重なった事もあり、ご実家に遊びに行かせてもらえる事となったのです。


 これまた元ルームメイトで仲良しのなっちゃんと、いざ岐阜へ!
「のぞみ」から富士山を望んでいる所


●▲■モーニング体験■▲●

友人の「エミコさん、岐阜のモーニングは凄いんやよ!」
という言葉でとても楽しみにしていたモーニング。
こちらは「なおみ」という、田んぼの中にある喫茶店で、
朝から近隣住人の方々で賑わっていました。
岐阜は、モーニング文化が根付いている模様。
朝、仕事前にゆっくりと朝食を取りながら、顔なじみの
ご近所さんと挨拶を交わす、なんだか良い文化だなあと思いました。
東京にもあったら良いのに。

<なおみ>
見て下さい、この和洋折衷(カオス)の極み!
トースト、おむすび、バナナ、サラダ、たこ焼き、そしてなんと茶碗蒸し!
珈琲350円を頼むとこれが出て来る...(笑)

喫茶「まねきねこ」
こちらはふっくら厚手の小倉あん乗せトーストが
美味しかったです。

今回、岐阜を訪れる前に「岐阜ではどこへ行きたい?」と尋ねられ、思い出をなぞるべく「飛騨高山!それから、白川郷!」とな〜んにも考えずにリクエストした所、友人宅のある関市からは何十ものトンネルを越える所であった事が後に判明...。さらには白川郷へ向かう雪道のために、タイヤまで履き替えていてくれたのでした...ありがとう!
無知で申し訳ない....m(_ _)m でも....お陰で、こんなに素晴らしい景色を目にする事が出来ました!


           
 ●▲■白川郷■▲●

東京生まれの私が、勝手に心の故郷として憧れて来た白川郷へ。

 合掌造り

 雪景色がなんとも似合う

 なっちゃんと私のシルエット

雪景色の中で触れる火は格別に暖かい

 雪駄を花器にして


●▲■飛騨高山■▲●

そして、二十年振りに飛騨高山へ!
風情ある古い町並みをブラブラ歩きで楽しみつつ、
甘くないみたらし団子、飛騨牛コロッケ、おそば等に舌鼓を打ちました。
岐阜は美味しいもので溢れていました。お酒も美味しい...。

造り酒屋の前ではしゃぐ私(この後純米酒を購入)


●▲■刀鍛冶工房見学■▲●

友人のお祖父さまから受け継がれる、日本刀の鍛冶工房を見学させて頂けました。
ストイックに、淡々と仕事に向かい、日々鍛錬を積み重ねる。
日本人の元来持つ素晴らしい気質はこれなのだろうと感じました。

 丁寧に工程の説明をして下さる友人の叔父さま

 友人の従兄弟、お若いけれど既に刀鍛冶の国家試験をパス

 このポスターに写っているのが友人のお祖父さま

 何遍も熱しては打ちを繰り返し、ねばりのある刀に


●▲■岐阜城■▲●

織田信長が取った岐阜城へも連れて行って貰えました。
ロープウェー乗り場にこんなポスターが...ノエビアの絵だ!

「信長の野望燃え立つ、金華山」
どのポスターにも80'sな色あせを感じて、
撮らずにはいられませんでした...

今回お世話になった友人姉妹
岐阜城の中には、なんと叔父様作の刀が飾られていました!
お城から望む山々と城下町
信長もこの景色を見たのか
日本の山々はアメリカとは
また違った味わい深さがある


●▲■多治見■▲●

最後は美濃焼を見に、多治見へ!
お昼は友人お勧めのうどん処「信濃屋」さんで。
店構えからして既においしそう

「しろころうどん」モチモチつるつるの喉越し、絶品でした

雑誌に取り上げられても至って謙虚で素晴らしいお人柄の店主


この後は「ギャルリももぐさ」という、民家を改造した
素敵なお店で美濃焼の器を見て、お茶をしてお別れとなりました。
(我々、旅人班はそのまま名古屋へ)


高井家の皆様、お世話になりました!



私は日本生まれにも関わらず、国内をあまり知らず、
むしろアメリカに渡ってから日本の文化や景観、
人々の暮らしぶりや精神性への興味が高まって行きました。
ニューヨークで友人達と「にほん昔ばなし」を見たり、
Youtubeで日本の民謡等を聞いていたのも、その気持ちに火をつけたようです。
今回旅をしてみて、日本のしみじみとした良さを再確認することが出来ました。
今度はどこへ旅しよう、濃いめの緑茶を啜りながら考えております。



港町もいいナァ〜







森進一「港町ブルース」名曲...

2012年12月17日月曜日

北風小僧のワルツ









窓を開けると、北風小僧が入って来て 
カーテンベールの手を取り踊リ始めた。
ベールも、恥じらいながらも嬉しそう。
「寒いから、今日はここまでね」
と窓を閉める私に 後で寒太郎は冷たく当たった。


I Saw The Light


昨夜、小・中学校時代に姉妹共々、進学塾で大変お世話になった国語の先生と、約二十年ぶりにお会いした。東中野にあった(今も在る模様)、なぜかロビーにグランドピアノのあるその塾で、常に落ち着いたトーンで面白い事を仰り、私生活ではロック好きというN先生は生徒達の間で特に人気が高かった。私も受験勉強の最中、よく恋愛相談に乗って頂いた事を思い出す。国語が1番好きな教科となったのも、先生のお陰だった。
二年程前に先生のブログを見つけ、連絡を取った所、私と姉の事を覚えていて下さっていて、今回ようやくお会い出来る事となった。

夕方、早い時間に大塚駅で待ちあわせ、先生行きつけの居酒屋へ連れて行って頂いた。
一件目では瓶ビールでレバーやハツなどの串ものを。カウンターのみの店内には常連と見られる男性客が楽しそうにお酒を飲んでいた。店を出る際、引き戸を閉めたつもりが1センチ程開いていたようで、それにすぐに気が付いた先生が丁寧に戸を閉め直されていたのがとても印象的だった。

二軒目は、「予習」した所によると、常連客の集う老舗の名店であり、女将さんが睨みを利かせているとの事だったので、少し緊張したが、マナーを守っている限りは怒られる事はないようだった。コの字型のカウンター席に並ぶお客さんは、ほとんどがひとり酒を愉しむ男性客で、それぞれのしみじみとした顔つきを見ているだけで、良い本を読んでいるような気分になった。ここの燗酒が、気絶しそうな程美味しかった。樽酒を頂くのが初めてだった私は、そのほんのりと杉の香りのついた程よい温度のお酒に文字通り「心酔」した。あんなに艶やかな飲み物がこの世にあるなんて...。
それから、木綿豆腐に醤油と葱というシンプル極まりない湯豆腐が、これまた素晴らしかった。お酒と肴の美味しさにいちいち感動しながら、色んな話に花が咲く。
ふんわりと酔いが訪れ始めた頃、どういう話の流れだったか、 ふいに先生が "Todd Rundgren"という名前を口にされた。
驚いて、手酌をする手が固まった。なぜならその日の朝、たまたまこのミュージシャンの"I Saw The Light"という曲を聞いていたから...。

最後は東中野へ移動し、程よい広さのお店でウーロンハイと美味しい突き出しを頂いた。この辺りになると、実は何を喋ったのかあまり思い出せないが、「愛に生きろよ」という先生の言葉は覚えている。
帰りは "I Saw The Light" を口ずさみながら歩いて帰った。

先生、ごちそう様でした。
愛に生きて参ります。


 
Todd Rundgren - I Saw The Light


It was late last night
I was feeling something wasn't right
There was not another soul in sight
Only you, only you
So we walked along,
Though I knew there was something wrong
And a feeling that feels so strong about you
Then you gazed up at me and the answer was plain to see
'Cause I saw the light in your eyes

Though we had our fling
I just never would suspect a thing
'Til that little bell began to ring in my head
In my head
But I tried to run,
Though I knew it wouldn't help me none
'Cause I couldn't ever love no one, or so I said
But my feelings for you
Were just something I never knew
'Til I saw the light in your eyes

But I love you best
It's not something that I say in jest
'Cause you're different, girl, from all the rest
In my eyes
And I ran out before but I won't do it anymore
Can't you see the light in my eyes



追記:その先生が前にこの名店についてブログ記事にされていました。改めて読み見返し、正にその通り!と感じます。

2012年12月15日土曜日

神聖なる窓



湯船に浸かりながら見上げる、この窓を信奉している 
湯けむりの向こうに ぼんやり浮かぶ 葉っぱの黄色と空の青 
乳白色の湯に身を沈めつつ ここは天国に近いのではと思う
思いつくままの鼻歌か 口笛が賛美歌代わり
懺悔はせず、ただ湯けむりで思考回路をぼかしていく
まどろみながら 白い光と落ちて行く
ふやけた指が 信者のしるし



 
Aretha Franklin - Day Dreaming

2012年10月26日金曜日

小説家の渡辺さん(リアル編)


先日の火曜日の晩、コピーライターであり、作家であり、釣り人であり、呑み人であられる渡辺裕一さんと、50代の女性の生き方を応援するウェブサイトBonjour 50'sの代表でいらっしゃる田中清美さんと、KONTRAPUNKTのデザイナーの田中啓一さんとお食事をするという贅沢な機会に恵まれた。
前の日記にも書いたように、私がサントリーペンギンCMのファンである事を知った田中啓一さんが、CMのコピーの作者でいらした渡辺さんをご紹介下さったのがきっかけだった。

それからは当ブログにコメントを頂いたり、私も渡辺さんの「酒の肴日記」
に足繁く通っては、時々おそるおそる(コメント欄の敷居が高いので...)コメントさせて頂いていた。そのまま出版化された方が良いのではないかと思う程の文面のEメールも、沢山頂いた。 ご著書の「小説家の開高さん」も、本がクタクタになる程読み込んでいたが、何しろ現実にお会いした事はなかったので、勝手なイメージばかりが膨らんだ。
そのイメージとは、眼鏡、やや丸顔、少し気難しく哲学的なお顔付き、モスグリーン色のジャンパー、等が合わさったものだった。また、ブログ上で、いつも髪型は白髪を短く刈り上げている、と書かれていたにも関わらず、私の脳が作り上げた「ザ・勝手」なイメージ上ではベートーベンのような、モシャモシャの髪型をされていた。

その為、代官山の素敵なビストロで先にビールを飲まれていた本モノの渡辺さんと目が合った時、「あれ?あの方ではないよね?」と戸惑ってしまった。そこには、シュッとされていて、ボーダーシャツを爽やかに着こなすスタイリッシュな紳士がビールを飲んでいたからである。ドギマギを抑えつつ、「はじめまして!」と握手を求めるも、私の頭の中は、まだまだ脳のギャップ部分を一致させる作業でシロクロバズバズ言っていた。とても、かつて蟹工船で過酷な労働をしたり、荒くれた海や男達とやり合っていた方には見えない。

しかし、美味しい赤ワインを頂きながらお話しするに連れ、「やはり、この方は本モノの渡辺裕一さんに違いないのではないか」と確信した。(始めから、ご本人なのですが...)
まず、お話しされる事が、全て面白かった。どんな話題になっても、当たり前のように、シュルシュル、シュルリと手品のように抱腹絶倒のエピソードが飛び出す。同じエピソードを面白い文章にするのも難しいが、アドリブで面白く喋るというのもまた、同様に難しい事だと思う。渡辺さんは、奇跡的に両方を兼ね揃えていらっしゃる方だと思った。

それから、「これはもう、ご本人に違いない」(だから、始めから本モノなのに...)と確信したもう一つの決定打は、「目」であった。何と言うか深い紺碧のような印象で、荒れた海も穏やかな海も見つめて来られた、色んな青をたたえた目をされていた。

そんな事を勝手にフムフム納得しながら、楽しいお話しに大笑い、唸ってしまうほど美味しいお料理(トリッパのトマト煮に、 白レバー、渡り蟹のパスタが特に美味しかった)と美味しいワインをガブガブ頂いていたら、あっという間に時は過ぎて行った。(終電に滑り込んだという事は、6時間程経っていた事になる。楽し過ぎたので2時間くらいに感じた。)

帰宅後、贅沢な夕べの余韻を噛み締めつつ(ヘパリーゼも飲みつつ)、床に就いた。
翌日、「リアル渡辺裕一さん」にお会いした今、改めて文章を読み返したらどう感じるだろうと思い、「酒の肴日記」を訪れると、ナント私についての記事が書かれていて、さらには恐れ多いほど最高級の賛辞を頂いていて、ひっくり返りそうになった。夜中にも関わらず飛んで跳ねて喜んでしまった。こんなに嬉しい言葉を頂いたら、この先数年は落ち込む事なく生きて行けるだろうと思う。ニヤニヤしながら既に100回以上は読ませて頂いた。

今朝は、"Bonjour 50's"に、渡辺さんが連載をされている「クラシック便り」でご紹介をされていた、バッハの「無伴奏チェロ組曲」を大音量で流しつつ、秋の澄んだ空気を胸一杯に吸い込んだ。

窓を開けると、この素晴らしい出会いの喜びに共感するように、秋空にトンボが戯れていた。



余談ですが、 今回は全員が他人同士なのに、偶然「渡辺」か「田中」という名字で、もれなくB型という凄い会でした。


2012年8月30日木曜日

夏の恋人Stephen、秋の恋人Morgan


この夏、正確に言うと6月の始めから今日に至るまで、私はミッドタウンにあるNY公立図書館のメイン・ビル"Stephen A. Schwarzman Building"にほぼ毎日のように通っていた。ビザ申請の書類準備と活版印刷以外の仕事をする為で、自宅だと改装工事の音で集中できなかったり、ベッドがあるとシェスタとキッチン徘徊の誘惑が常にまとわりつくので、どこかオフィス代わりになる良い場所はないかと探した所、ここに行き着いた。

この図書館は、その建築と内装の素晴らしさから観光名所のひとつでもあり、私も見学したことはあるものの、利用した事はなかった。 条件として考えていた「wifiが繋がり、電源があり、静かである事」はもちろんの事、細部にまで装飾の施された美しい壁や圧倒的な天井画、膨大な数の蔵書がシンと無言でこちらを待っている感覚、そして周りの利用者達が皆真剣に勉強や仕事をしている雰囲気に、「これ以上の場所はない」と感動したのだった。

始め、3階のRose Roomという大広間を利用していたのだが、ある時、奥に小さな部屋があることに気がついた。 そこは美術や建築専門書が収められている部屋で、「入っていいのかな」と思いつつもそうっとドアを開けると、大広間よりもさらに数デシベル静かな空間が広がっていた。それ以来、その部屋は私の世界一集中できる最高のオフィスになっている。

 毎日のように通っていると、部屋を出るたびに本を盗んでいないかチェックする係の黒人のおじさんも、バッグの中身を見ずして"No books? Good to go"と甘くなるし(そもそも始めからちゃんとチェックなんてしていなかったのだけど)、館内に入っている小さなカフェの寡黙なお兄さんも、コーヒーの注文の際に"Whole milk, right?"と覚えてくれ、少しだけ口角を上げてくれるようになった。

シーンとした図書館で、ひたすらにパソコンと向き合った後は、裏に広がるブライアントパークの椅子に座り、夏恒例の様々なフリーの催し〜卓球やジャグリング、チェスや語学レッスン等々〜を楽しんでいる人々を眺めて目を休めた。

芝生の上では無料の映画上映もあり、8月中旬には図書館で仕事をした後に場所取りをして、スペインから来た友人と"All About Eve"(イブの総て)を寝そべって観た。

とにかく、この夏はずっとこの大きな図書館とブライアントパークと一緒だった。
それが先週あたりから、図書館の大きな窓から西日が差す時間が少しずつ早くなったことに気がついた。 8月20日の"Raiders of the Lost Ark"(インディ・ジョーンズの一作目)の野外上映を境に夏が終わった気がする。

今日は弁護士と会う為に(先週、銃撃事件のあった)エンパイア・ステート・ビルへ行ったのだが、そのワン・ブロック先に、これまたNY公立図書館の一つ、"Science, Industry and Business Library (SIBL)"という図書館があるので寄った。
ここはビジネス系の図書館の為か、椅子がハーマン・ミラーのアーロンチェアでとても快適なのだ。Stephen A. Schwarzmanの方は固くて重い木の椅子なので、おしりが痛くなるし、ひく時にギィと言って静まり返った部屋に響き渡るので気を遣う。でも、そういうことを踏まえても、やっぱりどこの図書館よりも圧倒的に魅力的なのだ。家から近い、ブルックリン公立図書館等、ちょっと浮気をしてみようとしたけれど、やっぱりここに戻ってきてしまう。(あそこは館内全体が何か揚げ物っぽい匂いがする。。)
頭がいいのと、親には負担をかけたくないというので奨学金で大学へ入学、もの静かで品格があるのに、みんなに(公立だけに)大きく心を開いている人気者、Stephenはそんな性格なのだ。

でも、今日見つけてしまった。 新たに魅力的な図書館を。
その名も"Morgan Library & Museum"。
前々から外観を見て気になっていたのだが、今日とうとう足を踏み入れてみたら、Stephen A. Schwarzmanとはまた違ったスノッブな魅力があった。それもそのはず、こちらはこじんまりとした私立図書館(兼美術館)で、そのまま公立と私立の学風の違いのようなものだ。1906年に、あのJ. P. Morgan氏の邸宅兼私用図書館として建てられ、2006年にはイタリアのデザイナーRenzo Pianoがエントランスや内部の改装を手がけたとの事で、小粒ながら洗練度がハンパない。
ミュージアムショップを覗いたら、製本や印刷に関する本が並んでいて興奮。趣味が合った!
Ellisworth Kellyという、ミニマムな作風の彫刻家の展示が良さそうだったので、入館料$15を払って入ろうとした所、係のお兄さんに「今日はもうすぐ閉まるし、金曜日ならタダで入れるんだから今度にしたら?」と言われ、出直す事に。

外見と育ちの良さそうな雰囲気に惹かれて、中身はまだ見ていないので、想像は膨らむばかり。

まるで恋の始まり。
でも、結局またStephenに戻るのだろう。
この夏を共にした、大らかな夏の恋人、Stephenへ。

Stephen A. Schwarzman Building

Morgan Library & Museum

2012年8月26日日曜日

残暑お見舞い申し上げます〜ペンギンの巡り合わせ〜

残暑お見舞い申し上げます。

というタイトルのブログ記事を書いたのは、二年前の夏でした。
80年代に、聖子ちゃんの歌をBGMにポテッとしたペンギンが登場する、サントリー缶ビールの名CMがあったことを覚えていらっしゃる方は多いと思いますが、私は昔からこのCMが大好きです。Youtubeが発明されてからは毎年夏になると、花火やお素麺と並ぶ夏の風物詩として、1人で動画を楽しんだり、友人達に暑中見舞いや残暑見舞い代わりにEmailで送っては「懐かしい」「夏を感じる!」と好評を得ていたのでした。

この大好きなペンギン動画をブログ記事に載せた所、前述の田中啓一さんより「あのCMのコピーを作ったのは僕の友人なんだよ。エミちゃんのブログの事もお教えしたよ。」とご連絡をうけ、驚いているのもつかの間、その作者のご本人よりコメントを頂きました。
あのCMを見て、幼心に懐かしさやせつなさを感じたのは板橋区に住んでいた7歳頃のことだった筈で、まさかその20数年後に制作者の方とお話しするなどとは想像できた訳もありません。

その方の名は、渡辺裕一さん。

サントリー缶ビールのペンギンシリーズや、日清カップヌードルのアーノルド・シュワルッツネッガー起用のCM「ちからこぶる。」、ジャネット・ジャクソンを起用したJALの「只今、JALで移動中。」等々、数々の名コピーを産み出して来られた売れっ子コピーライターであり、「小説家の開高さん」という、とてつもなく面白い本を書かれた作家でもいらっしゃいます。

渡辺さんは開業医の1人息子として生まれ、親戚は殆どお医者さん、医者に非ずは人に非ずという環境に嫌気がさし、高校卒業後、過酷な労働で有名な蟹工船の乗組員として、函館からカムチャツカへ向かいます。この本の面白さは、10編に渡るお話の全てが、そんな渡辺さんの実体験を元に書かれているというところにあります。そして、ただの痛快な冒険談というのは、炭酸ソーダのように喉元に一瞬の爽快な刺激を感じた後、すぐに消えてしまうものですが、渡辺さんの文章のように、旅の先々で出会う人々(時には動物)とのささやかな会話や交流、表情、そして普通の人なら忘れてしまうような情景を繊細な感受性で記憶し、それを的確な言葉で再現されている冒険談は、灼けるように熱く強烈な温度が深く長く残ります。度数の高い、強いお酒を飲んだ時の、カッとして胸にジーンと残る熱さに似ているかも知れません。

私は「小説家の開高さん」を、晴れた日のブライアントパークの芝生の上で、ブルックリンからマンハッタンへと向かう地下鉄Q線の中で、あるいはルームメイトが寝静まった後の布団の中で、何度もランダムに開いてはその冒険を頭の中で映像化し、そのつど目眩を覚えてます。

タイトルでもある「小説家の開高さん」の章に、渡辺さんが憧れていた開高健氏の、「やりたいことをやり尽くしなさい。飲み尽くしなさい。あとで戻ってきても、何も残っていないのだよ。」という言葉が出てきます。この言葉に渡辺さんほど忠実に生きていらっしゃる方はいないように思います。

私の表現力ではとてもお伝えしきれていませんが、是非ご一読なさってみてください。
「小説家の開高さん」(フライの雑誌社)

そして、渡辺さんのとっても面白くて気持ちの良いブログも、是非!
文章力の高さに「さすがプロだなあ...」と毎回脱帽させられます。
「酒の肴日記」



2012年4月3日火曜日

猫の集会仲間〜田中さんの事〜

1999年、NYでの1年間の留学生活を終え、日本に帰国した初夏でした。 休学していた大学に復学したものの退屈で仕方なく、心に決めていたデザイン専門学校の受験の為にデッサンを初めていた頃、 NYで知り合ったYukiという、いまや家族のような友人が日本へ数ヶ月遊びに来ました。 彼の情熱的で真っすぐな性格と若さ(当時はお互い20歳そこらでした)に触れ、NY帰りで勢いづいており、高ぶった気持ちが日本で行き場をなくしていた私は、毎夜のようにYukiと出かけては人と出会い、何か突破口を見つけようともがいていました。

Yukiには、日本にいる間に何か大きな事をしようという目的があったのですが、それが現実となったのが、彼が企画をした"Quiche"というパーティでした。ゲイであるYukiによると、"Quiche"=キッシュというのはゲイの象徴的食べ物との事での名付けでしたが、この企画はゲイパーティではなく、面白い事、新しい事を求めているクリエイティブな人達の為のパーティというものでした。
Yukiの熱意に共感された方々のご協力をもとに、会場は246沿いの青山ブックセンターの手前にある"un cafe"というレストランの広い中庭に決まりました。
フライヤーを刷り、手分けしてこれぞと思う場所に赴いては来て欲しいと思う人に片っ端から配りました。例えば、新宿伊勢丹の中に当時気に入っていた、Colette Maloufというヘアアクセサリーのブランドが入っていたのですが、そこの店員さんが素敵だったので、「今夜なんですが、、絶対に面白いので来て下さい!」と渡したり、道を歩いていていい感じの人がいたらつかまえて、「あのぅ...」と手渡していました。

さあ、やれるだけの事はやった、だけど果たしてどのくらいの人が来てくれるのだろうか、という心配は、開始時間と共に吹き飛び、庭は人で埋め尽くされました。 伊勢丹の店員さんも、同僚の方を連れて「ほんとうに来ちゃいました!」と顔を見せてくれました。

 私はYukiと共に、お客さんに挨拶をしたり気を配ってまわる、つまりホステスの役だったのですが、その中で田中啓一さんと出会いました。 そこで何を話したのかはよく覚えていませんが、とにかくそれから、ギャラリーオープニングや新しいカフェの開拓、クラブ遊び、ドライブ等々、よく遊んで下さるようになりました。 お酒を全く飲まないこと、凄い方なのに偉ぶる様子が全くないこと、そして誰よりも気持ちが若い、という部分は、あれから何年経っても変わっていません。

以前、某ソーシャルネットワーキングサイトで田中さんから頂いた紹介文が、この不思議な関係を的確に表現されていたのでご紹介したいと思います。  
関係:猫の集会仲間
 猫は近所に住んでいる飼い猫、ノラ猫問わず、定期的に集会をするらしいです。そこで何をしているのかは定かではありませんが、何となく僕達もそんな関係かなと思います。2人で会うことはあまりなく、仲のいい友達たちとたまに会い近況報告やあてどもない四方山話に花を咲かせるという、ながーく続きそうな関係です。
正にその通りです。次の集会ではお互いどんな魚を口にくわえて集うのか、今から美味しい魚をキャッチすべく、ヒゲのアンテナを張り巡らしておかなくては...。
 
あの1999年の初夏、その中庭でのパーティは、文字通り私にとって出会いの庭であり、海でした。あの夜撒かれた出会いの種が、13年経った今でもその葉脈を辿ってびっくりするような花を咲かせることがあります。

たとえば、その田中さんが本当にひょんなきっかけからご紹介下さった、渡辺裕一さんのこと...。


〜次回につづく〜


【田中啓一さん】
「COMME des GARÇONS HOMME」「COMME des GARÇONS HOMME HOMME」のデザイナーとしてご活躍の後、2010年よりご自身のブランドKONTRAPUNKT(ドイツ語で対位法)をスタート。
ブランドコンセプトの「古典や基本を尊重し、且つ前衛を恐れず、常に新鮮であり続け、華美に走らない、そして、時としてウイットを感じさせるデザイン。文化的な思考をする人、特に芸術に関心のある人へ向けた被服。」というのは、正にそのまま田中さんの内面を映し出しています。
KONTRAPUNKTのウェブサイトはこちら!→ http://www.kontrapunkt.jp/

2012年3月19日月曜日

My First Sony



子供の頃に父から贈られたもので特に思い出深いものといえば、前にブログ記事にした"おふう"と、この"My First Sony"シリーズのウォークマンです。

再生/巻き戻し/早送り/停止のシンプル極まりない構成にポップな配色。(赤丸ボタン=録音機能すらなかった)
かなりのお気に入りで、高校生になってもまだ現役で使っていました。
裏面がスケルトンになっていて、中の構造が丸見えなのがまた可愛かったんです。(画像が無いのが残念)
調べてみたトコロ、「幼少時からソニー製品に親しんでもらい、大人になっても買ってもらう」という戦略だったらしいのですが、周囲の「絶対売れない」という意見を押しのけての開発の結果、子供のみならず一部のデザイン好きの大人まで夢中にさせるヒット商品となったとの事です。Appleに対抗してまたこういった独自の「万人受けはしないけど、好きな人は異常に好き」(←ちなみに好きになる人は男女問わずこんな感じかも..)な製品を作って欲しいなあ。(すみません、完全なMacユーザーのくせに)

 これが"My First Sony"のコンプリート...POP!

年頃になると、友人や好きな男の子とミックステープを送り合ったりもしました。
選曲はもちろん、曲順やラベルのデザイン(もちろん手描き)にも物凄くこだわったり、一曲一曲解説までつけたりして...。(根がオタクなんですね)
そして相手から送られたテープをこの赤いウォークマンにセットして通学/通勤しつつ、「へぇ、なにこの曲いいじゃん」と思うと、それが次に家族で車移動する時のBGMになるわけです。父は小唄やオールディーズ(今では大好きですが)を聞きたがるので戦いつつ。。

テープが 好きでした。オモチャのようにガチャガチャとラフに扱える気軽さと、巻き戻しや早送りで再生したい箇所が指先の感覚で把握できる所。

同じ世代の方なら「赤い」といえばスイートピーではなく、「彗星=シャー・アズナブル」でしょうが、私は10代を共にしたこの再生機を連想します。

キュルキュルという、懐かしい音と共に。



Yamaha-Mitsubishi-Toyota-Suzuki-Sony-Minolta-Kawasaki-Sanyo-Casio-Toshiba

2012年3月7日水曜日

忘れられたタイトル

どうしても思い出せない映画のタイトルがある。

小学校、たしか4、5年生くらいの時に、姉と共に母に連れられて観に行った映画。

新宿か、もしくは渋谷あたりの映画館。

ニューヨークを舞台にしたドキュメンタリーだった。

地下鉄の階段を降りるシーンと、何よりも鮮烈に焼き付いているのが、

10代の黒人の子供が路地裏で刺されるシーン。

Tシャツをぺろっと捲って、脇腹の傷口を見せながら「こんなことは日常茶飯事だよ。」というセリフ。

白黒だった気がする。

それがハーレムを舞台にしていたのかは思い出せないが、

そういった子供達の母のようになっているパーマヘアーの日本人の中年女性が主人公だった。

母や姉に聞いてもうろ覚えだった。

当時の私のニューヨークのイメージといったら、この映画の殺伐とした感じとキースへリング だった。

あの映画が制作されてから二十数年。 

ニューヨークは随分と安全な街になった。

と思っていたら、週末空き巣に入られた。

空き巣というとまだ平和な感じがするが、家に居たら強盗だったかも知れない。

空き巣が入った前夜、だれも帰宅していない家に1人戻った私は、何か妙な空気を感じた気がして、わざわざ洗面所の窓ガラスの汚れをじっと見て「ガイコツに見える!!」と思い込んで腰を抜かしそうになったり、霊は音を怖がるというので手を叩きまくったり、挙げ句の果てに恐くて居てもたっても居られなくなり、近くに住む友人宅に「ちょっと...今からお邪魔していいですか?」と押し掛けるという、軽く狂った行動をしていた。

今から思うと、虫の知らせだったのだろうか。 虫というか、霊の。

とにかく、ルームメイト共々、命が無事で良かった。

警察によると、黒人のティーンエイジャーのグループによる窃盗のリポートは、毎日あるという。

そこからそのキッズ達の生活を想像していて、何億もの記憶のヒダに埋もれていた映画の断片が蘇ってきた。

でも、タイトルが思い出せない。

どなたか心当たりのある方はご一報を。

厄払いの方法も、一緒に沿えて頂けると助かります。

2012年2月1日水曜日

You Can't Hurry Love



I need love, love
Ooh to ease my mind
And I need to find time
Someone to call mine
My mama said

You can't hurry love
No, you'll just have to wait
She said love don't come easy
Well it's a game of give and take

You can't hurry love
No, you'll just have to wait
Just trust in the good time
No matter how long it takes

But how many heartaches must I stand
Before I find the love to let me live again
Right now the only thing
That keeps me hanging on
When I feel my strength
Ooh it's almost gone
I remember mama said

You can't hurry love
No, you'll just have to wait
She said love don't come easy
Well it's a game of give and take

How long must I wait
How much more must I take
Before loneliness will cause
My heart, heart to break

No, I can't bear to live my life alone

I've grown impatient for a love
To call my own
But when I feel that I, I can't go on
Well these precious words
Keep me hanging on
I remember mama said

You can't hurry love
No, you'll just have to wait
She said love don't come easy
Well it's a game of give and take

You can't hurry love
No, you'll just have to wait
Just trust in the good time
No matter how

And now break
Now love, love don't come easy
But I keep on waiting, anticipating
For that soft voice to talk home at night
For some tender arms to hold me tight
I keep waiting, ooh until that day
But it ain't easy, no it ain't easy
My mama said

You can't hurry love
No, you'll just have to wait
She said love don't come easy
Well it's a game of give and take
You can't hurry love
No, you'll just have to wait