2011年5月21日土曜日

Itsy Bitsy Spider


カーリー・サイモンは、父の買ったレコードが小さい頃から家にあったので知ったのですが、「綺麗だけど、少しゴリラっぽい顔だな」くらいに思っていました。
それから年月は経ち、日本でパッケージデザイン会社に勤めていたある年の年末、大掃除をしていて、先輩デザイナーで仲良し/銀座付近のランチ開拓番長だった中尾さんが、「渡辺さん、ちょっと休憩しよ。Kちん(旦那様)がカーリー・サイモンのDVD買って来たのよ。」と言って、パソコンで再生してくれたのがこのPVでした。曲調と歌詞の内容も大好きなのですが、このライブ映像にとにかく、グッと来てしまったんです。
うす紫色の夕暮れの港町で、みんながゆったりと風に吹かれて気持ち良さそうに歌を聞いている様子に。
いつか行ってみたいな、こんな港町。

Carly Simon "Coming Around Again 〜Itsy Bitsy Spider〜"



Baby sneezes
Mummy pleases
Daddy breezes in
So good on paper
So romantic
But so bewildering

I know nothing stays the same
But if you're willing to play the game
It's coming around again
So don't mind if I fall apart
there's more room in a broken heart

You pay the grocer
Fix the toaster
Kiss the host Good-bye
Then you break a window
burn the Soufflé
Scream the lullaby

I know nothing stays the same
But if you're willing to play the game
It's coming around again
So don't mind if I fall apart

there's more room in a broken heart


And I believe in love
But what else can I do
I'm so in love with you

I know nothing stays the same
But if you're willing to play the game
It's coming around again

The itsy bitsy spider climbed up the water spout
Down came the rain and washed the spider out
Out came the sun and dried up all the rain
And the itsy bitsy spider climbed up the spout again

I believe in love
And who knows where or when
Bit it's comin' around again

I know nothin' stays the same
But if you're willing to play the game
It's comin' around again


小さな蜘蛛が噴水をよじのぼった
そこに雨が降って来て蜘蛛を洗い流した
そこに太陽が昇って来て雨を全部乾かした
そして蜘蛛はまた、噴水をよじのぼった

「万物は移ろいゆく、だからまた、(いいことも)巡ってくるよ。」
という歌です。

2011年5月20日金曜日

いつも心にちゃぶだいを





祖父母

身内ながら、なんてかわいい祖父母なんだろうと思う。


よく、家庭とは社会の縮図である、と言いますが、本当にその通りだなと思います。
最近、実家で色んな変動があり、両親・姉と電話で話していて、さらにそれを実感しました。

たとえば、
姉は自分で「石橋を割れるまで叩いて、そこからどうするか考える」タイプ。(熟考型)
私は「橋を飛んで越える、もしくは石橋ならまだしも糸で出来た橋だろうと渡ろうとするタイプ。」(無鉄砲型)

...だね、と電話で話しました。でも確かに性格は全く違うけれど、それでも2人にしか解らない、共通の感覚があるんですよね。上手く言えないですが。
子供の頃の記憶で、姉と2人でどこかの森の中で迷ってしまったことがあって、私は恐くて完全に震え上がって泣き始めたのですが、その時に、自分も絶対に恐いにも関わらず、私に向かって「エミ、ぜったい大丈夫だから。」と光の見える方にキッと手を引いてくれた強さが、姉の本質だと思ってます。

左が私で右が姉


また、母は昔から、羽衣をまとって空でフワフワと遊んでいるような、芸術家肌で神秘主義(スピリチュアル)な人。

父は真逆に現実主義者で、堅実な人。
って、この写真ではそう見えないケド。。
ちなみにココは、Luke's Lobsterという、East Villageにあるロブスターロールがカジュアルに食べられるお店!


この↑写真では少し可哀想なので(私は好きですが)、父の名誉のためにキメ写真も載せておきます!
かんぱーい

もいっちょ、カッコイイの。


で、末っ子の私はと言えば、このブログの内容のような変な女...。


改めて、ここまで全然個性がバラバラのメンバーが一生関わり合っていくって、過酷な事、持久戦、耐久戦にもほどがあります!
でも同時に、毎日100人の新しい人達と会うよりも、よっぽど深い学びがある、と思います。
辛い、面倒くさい、気が合わない、だからもう付き合うのやーめたっ って匙を投げられない所がポイントだと思います。そこに生まれたからには途中下車は一切なしヨの関係。

腹を据えて向かい合う、腹を割って話し合う、腹が減ったら分かち合う。

まんまるに幸せな家庭などないのだから、ゴチャゴチャにもつれ絡み合ったまま、団子状になって一緒に転がって生きていけば、お互いの駄目な部分もきっと愛しくなってくるってもんです。


面白いな、家族。
ちゃぶだい一つあれば、結びつく。


永瀬清子さんのちゃぶだい 
谷川俊太郎                        
  
  
 ちゃぶだいの上に飯がのった
 煮付けた大根がのった
 目刺しがのった
 トマトがのった
 ちゃぶだいの前に男が座った
 女と子どもたちが坐った
 沈みかけた太陽と
 遠い海と
 隠れた権力者と
 さまよい続ける兵隊が
 ちゃぶだいをかこんでいる
 指と爪の間に詰まった土をそのままに
 女の手が飯をよそう
 ちゃぶだいの畑で
 言葉は物言わぬ種子
  
 ちゃぶだいの上にノートがのった
 万年筆がのった
 出がらしの茶がのった
 一日の終わりの静けさがのった
 ちゃぶだいの前に女は座った
 乾いた月と
 ばらまかれた星と
 色あせぬ恋の秘密と
 国々の風の記憶が
 ちゃぶだいをかこんでいる
 昼間のからだの火照りのさめぬまま
 女の手が万年筆を握る
 ちゃぶだいの祭壇で
 言葉は天を指す緑の茂み
  
 日々の汚れた皿が
 永遠の水にすすがれている
 今日のささやかな喜びが
 明日への比喩となる
 永瀬さんのちゃぶだい


※永瀬清子=妻であり母であり農婦であり、旺盛な詩的活動を行った詩人。宮沢賢治の雨ニモマケズを発見した人でもある。

2011年5月15日日曜日

A pinch of Salt

ランダムにつけている日記をめくってみた所によると、丁度4年前の今日、"Touch of Spice"というマイナーなギリシャ映画をDVDで借りて観ていたようです。(マイナーとはいえ、本国ではアテネで封切られるやいなや、タイタニックに次ぐ大ヒットを飛ばした模様)

サブタイトルは「人生は料理と同じ。深みを出すのはひとつまみのスパイス」。

1950年代のコンスタンチノープル(旧称イスタンブール)で、少年ファニスはスパイス店を営むおじいちゃんのもと、スパイスや天文学を通じて人生の妙を教わっていきます。

Pepper...is hot and scorches, just like the sun
胡椒は、辛く、じりじりと焼き焦がす太陽。
Salt... is used as needed to spice up one's life
塩は、人生にピリリと味わいをもたらすのに使われるもの。
Cinnamon... is bitter and sweet, just like a woman
シナモンは、ほろ苦くて甘い、そう、女性と同じ。

というように。

この映画、脚本も兼ねる監督の体験が基になっているそうで、ギリシャとトルコとの間の複雑な 政治動乱、歴史背景に心が揺さぶられます。アメリカのBBQソースでは到底出せないような、正にスパイスのような複雑で豊かな後味の残る映画です。個人的に、とても好みの映画でした。


この映画を観た当時、私は渡米するひと月前で、野望と希望と不安が入り交わった気持ちに、さらに何か未知の感情のツボが刺激されるのを期待して、それと同時にメディテーションとして、スパイスをあれこれ調合してカレーなんかを作るのにハマっていました。宛らあやしげな魔女気分。
混ぜていると、スパイスの強烈な、めくるめくような香りが鼻孔を刺激しつつ、赤銅色、黄土色、山吹色とそれぞれに鮮やかな色が目にも刺激をもたらします。

最近、マディソン・スクエア・パークで色とりどりのスパイスを山盛りにして並べている出店があったので、またやってみようかなと。キッチン全体が極彩色な匂いに包まれてしまうので、ルームメイトの了承を得ないと、ですが。(彼女達も料理好き/面白いもの好きなのでGOサインは目に見えているのだけど)


ひとつまみの塩

                谷川俊太郎


 買っておけばよかったと思うものは多くはない
 もっと話したかったと思う人は5本の指に足らない
 味わい損ねたんじゃないかと思うものはひとつだけ
 それは美食に乾きつつ気おくれするこのぼくの人生

 アイスド・スフレのように呑み下したあの恋は
 ほんとうはブイヤベースだったのではないか
 クルネのように噛みしめるべきだったあの裏切りを
 ぼくはリンツァー・トルテのように消化してしまったのか

 気づかずに他のいのちを貪るぼくのいのち
 魂はその罪深さにすら涎をたらす
 とれたての果実を喜ぶ舌は腐りかけた内臓を拒まない
 甘さにも苦しさにも殺さぬほどの毒がひそんでいる

 レシピはとっくの昔に書かれているのだ
 天国と地獄を股にかける料理人の手で

 だがひとつまみの塩は今ぼくの手にあって
 鍋の上でその手はためらい・・・そして思い切る

 レシピの楽譜を演奏するのは自分しかいないのだから
 理解を超えたものは味わうしかないのだから



そういえば、こちらの過去のブログ記事で書いた、「まだ見ぬかわいいハーブ達」は、先日ようやくお部屋にやってきました。毎朝バジルとローズマリーが、窓辺でさわやかに香るのが、嬉しい。

2011年5月4日水曜日

だいじょうぶマイフレンド

最近わかって来たことは、私の場合、ブログの記事のネタというか、書きたい事、共有したいことはワンサカあっても、ネタを溜めておいて後で書くよりも、「今」書きたい事を書くのが好きということ。
凄い早さで散歩(もはや競歩)している時、野菜をタントン刻んでいるとき、シャワーを浴びているとき等々、フトなにか書きたいなと思いつくと、それを熱い内に出したいと思う。
料理と一緒。美味しそうなネタをいくらストックしていても、自分の中で出すタイミングがしっくりこないと、自分で面白くないし、読んで下さっている方にもその味気なさ、鮮度みたいなものって伝わるって思う。内容は全く同じもの、だとしても。

(そう思うと、私がレストランをやるとしても、「今日のおすすめ」しか出せないんだろーなー..。でも、シェフの気まぐれサラダって名前、イラッとするんですよねー...で、内容は何なの!?って。)


前置きが長くなりましたが、、

そんな感じで、この記事も、昨夜こじらせた風邪をねじ伏せられずに、今ベッドで寝そべりながら事業計画を練っていた所(決してナメている訳じゃなく、楽しみすぎて熱があっても寝ていられないんですよ!今夜大事なプレゼンだし...!)、ふと「だいじょうぶ」について書きたいなと思いついたので、書いています。頭の中が熱い内に。(←それは多分、熱じゃないのか?)

先日の大地震の後、放射能やなにやら、日本から遠く離れて暮らしている私にとっては何をしていてもソワソワしてしまい、チャリティや広報活動をすることで少しは気持ちを落ち着けようとするものの、すぐに胸がビリビリに張り裂けそうなニュースが飛び込んで来たりして、「心ここに非ず」の日々が続きました。

そんなある日、実家に電話すると母が出てこう言いました。

「心配、あまりしないで。それよりも"だいじょうぶ”と思っていて。その方が救われるのよ。」

それから、私が生まれた頃の話になった。
私は生まれたとき、未熟児で、カプセルのようなものに入れられて、かなり危ない状態で、生きたとしても、耳が聞こえなくなるか、とにかく先行きは暗かったらしいんです。なんとか聴覚は大丈夫だったものの、風邪に高熱にと次から次へと病気を繰り返す私に、母は正直「もう死にたい」とも思ったんですって。

そんな中、藁にもすがる思いで、お医者さんであった父の弟、コロおじちゃんの所へ私を連れて行ったそうです。そして泣きながら「この子はもう、だめでしょうか...?」と聞いた所...

コロおじちゃんはニコニコとしながら、「ははは、けいこさん、だいじょうぶ、だいじょうぶだよぅ。」と言ったそうです。それも、無理をしている感じは一切なく、純粋に、心からそう思っているよ、という顔だったらしい。今でも、母はあの時のコロおじちゃんの顔は、仏様のようだったと言います。
その時、母が感じたとても大きな安心感、それは「だいじょうぶ」という言葉を通して与えられたもの。だから、今こそあなたも「だいじょうぶ」と思っていて頂戴、と言われました。

その仏様のような存在だったニコニコのコロおじちゃんは、医者の不養生で、その後ほどなく若くして亡くなりました。でもこうして、おじちゃんも天国のみんなも、残された私達の耳元で、たまに「だいじょうぶ」と囁いてくれるんですね。


Daijobu, my friend.





※後日、母にこの記事を送った所、「一ヶ所だけ事実と違う。あなた、てんかんじゃないわよ!」と修正指示を受けました。。高熱によるひきつけだったとの事です。よろしくお願いします。ぺこり