2011年8月3日水曜日

シビルとの思い出

今日はマンハッタンに用事があったので、帰りに日系スーパー「サンライズマート」へ立ち寄り、素麺に茄子、大葉などで埋まって行く買い物かごを見て夏を実感。

サンライズマートの下にはアート関連の本が充実した良い本屋があるので、ここにもついでに立ち寄って、ニューヨークの5つのボロー〜Manhattan, the Bronx, Brooklyn, Queens, Staten Island〜の多種多様な店の看板を撮りまとめた写真集を座り読み(椅子があったので)。

それからユニオンスクエアまで歩く途中、足はSTRAND BOOK STOREの方向へ。
と言っても、今回は立寄らなかった。

98年の春、1年間ニューヨークに留学させてもらっていた際に、アパート探しをする半月ほどの間、父が昔アメリカで勤務していた時の同僚の知人「シビルさん」のアパートにお世話になっていたのだが、それがSTRANDの横のビルだった。
12丁目の4アベニューの77番地。今では考えられない程の恵まれた立地である。

「ああ、ここに居たっけな」と思いながら見上げると、年月の層に埋もれていた記憶が蘇って来た。

まず、そのお婆さん〜シビルさん〜は、初めて会った時、「ああ、この人は相当の偏屈者だな」とわかった。基本、笑わないし、部屋がとても汚い、というかやけに散らかっていた。
夫はなく、死別した訳でもなく、生涯1人者のようだった。

パスタを作るけど、食べますかと聞くと、「私はバターと塩だけの味付けで。それ以外は食べない。」と言う。太るのを気にしていると言う割に(すでにかなり太っていらしたが..)、夜中にバケツ程の大きさのアイスクリームを毎晩、半分くらい平らげていた。「あの...それって、、太らないの?」とおそるおそる聞くと、「見てご覧、エミコ。これはTofuty(トーフーティ)っていうアイスで、トーフで出来ているから安心なんだよ。ガハハ。」と自信たっぷりに言うのには泡を吹いた。

足が悪いので、私の腕を取って歩くのだが、基本的には杖を使って文句を言いながらもガシガシ歩く。ある時2人で歩いていると、赤信号なのに構わずズイズイ歩いて行く。ニューヨークでは警察でさえ信号無視は日常茶飯事で、その代わり、ちゃんと車が来ないかは皆見ている。(だから、逆に事故が少ないと聞いた事がある。)だが、シビルは車も全く見ていない。案の定キャブがバーッと走って来て、シビルの前で急ブレーキを踏んだ。普通のお婆さんならうろたえる所だが、そうはいかないのがシビルさん。
持っていた杖をタクシーのボンネットにバシッ!バシッ!と打ち付けつつ、「気をつけろ!バカもの!」と怒鳴り散らしていた。これには衝撃を受けた。「さっ、エミコ、行くよ。腕!かしな!」と引っ張られつつ、「ニューヨーカーってたくましい...」という観念が私に植え付けられた。

そして、ひとり者のおばあさんには欠かせないアイテムとして、猫が2匹居た。これが致命的で、私は重度の猫アレルギーなのだ。とはいえ、不思議と長毛種は平気で、日本の実家ではタヌキそっくりの「ポンちゃん」という異常に可愛いヒマラヤンと8年間も一緒に暮らして平気だった。だが、困った事にシビルさん家の猫ちゃん達は、揃って短毛で、私は「こりゃ死ぬ」と思った。案の定、初日の夜から、私の個室には猫は入らないようにしたものの、前日まで、というか、それまで何年も猫が居た部屋には、掃除しても掃除しても目には見えない無数の猫毛が宙を浮遊しており、私を苦しめた。早速喘息の症状が出て、肺をヒューヒュー言わせながら、「一刻も早く猫を窓から放り...じゃなくて私が出て行かなければ...」と思った。

その頃はインターネットもなく、携帯電話もなく、気管支ヒューヒューが邪魔して寝付けないので、お昼にユニオンスクエアにあるBarnes & Nobleという本屋に入っているCDショップで買ったCDをプレイヤーに入れて、その中でもお気に入りだった曲を何十回も、シビルを起こさないよう小さい音量でかけた。それはFrente!というバンドのBizzare Love Triangleという曲だった。(New Orderのカバー曲)

窓の外を見ると、今はChase Bankの醜いビルに遮られて見えなくなってしまった、Carl Fischer という楽譜専門の出版社の音符のマークが特徴のビルの向こうで、空が白みかけていた。ホームシックで少し涙を流しつつも、いつの間にか眠りに落ちていた。

次の日は、喘息が本当に苦しいという事で、どうやって見つけたか、コリアンタウンにある中国人ドクターの医院(今思えば確実にモグリ)という怪しさ満点の所へワラをもつかむ思いで行った。なぜここを選んだのか、全く思い出せないが、電話帳で調べたか、シビルの入れ知恵、しか思い当たらない。

中国人ドクターに症状を説明し、怪しい英語で何かを返された後、「ハイ、じゃオシリを出しなさい」と言われた。「えっ。今なんて...?ホワ〜イ!???なぜに??」である。でも、目付きと口調から、これは変な意味ではない、と判断した私は大人しくオシリをさし出した。すると、横に居た看護婦さんが「これをウッチマース」と、見た事もないような大きく太い注射を出すではないか。
逃げ出そうかとも思ったが、もうどうにでもなれ、という心境でもあったので、覚悟を決めた。看護婦がオシリの頬っぺたにブスリ...。
この注射が、後にも先にも比べるもののない程、痛かった。
そして、その日からシビルの家を出るまでの半月の間、喘息はぴたりと治まった。猫を始末せずにして、である。

あの時オシリに打たれたものは何だったのだろうか。
それは知る由もない。

そして、シビルと猫達は今もあのSTRANDの横に住んでいるのだろうか。
これは、知る由はあるけれど、、勇気がない。


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