2011年5月20日金曜日

いつも心にちゃぶだいを





祖父母

身内ながら、なんてかわいい祖父母なんだろうと思う。


よく、家庭とは社会の縮図である、と言いますが、本当にその通りだなと思います。
最近、実家で色んな変動があり、両親・姉と電話で話していて、さらにそれを実感しました。

たとえば、
姉は自分で「石橋を割れるまで叩いて、そこからどうするか考える」タイプ。(熟考型)
私は「橋を飛んで越える、もしくは石橋ならまだしも糸で出来た橋だろうと渡ろうとするタイプ。」(無鉄砲型)

...だね、と電話で話しました。でも確かに性格は全く違うけれど、それでも2人にしか解らない、共通の感覚があるんですよね。上手く言えないですが。
子供の頃の記憶で、姉と2人でどこかの森の中で迷ってしまったことがあって、私は恐くて完全に震え上がって泣き始めたのですが、その時に、自分も絶対に恐いにも関わらず、私に向かって「エミ、ぜったい大丈夫だから。」と光の見える方にキッと手を引いてくれた強さが、姉の本質だと思ってます。

左が私で右が姉


また、母は昔から、羽衣をまとって空でフワフワと遊んでいるような、芸術家肌で神秘主義(スピリチュアル)な人。

父は真逆に現実主義者で、堅実な人。
って、この写真ではそう見えないケド。。
ちなみにココは、Luke's Lobsterという、East Villageにあるロブスターロールがカジュアルに食べられるお店!


この↑写真では少し可哀想なので(私は好きですが)、父の名誉のためにキメ写真も載せておきます!
かんぱーい

もいっちょ、カッコイイの。


で、末っ子の私はと言えば、このブログの内容のような変な女...。


改めて、ここまで全然個性がバラバラのメンバーが一生関わり合っていくって、過酷な事、持久戦、耐久戦にもほどがあります!
でも同時に、毎日100人の新しい人達と会うよりも、よっぽど深い学びがある、と思います。
辛い、面倒くさい、気が合わない、だからもう付き合うのやーめたっ って匙を投げられない所がポイントだと思います。そこに生まれたからには途中下車は一切なしヨの関係。

腹を据えて向かい合う、腹を割って話し合う、腹が減ったら分かち合う。

まんまるに幸せな家庭などないのだから、ゴチャゴチャにもつれ絡み合ったまま、団子状になって一緒に転がって生きていけば、お互いの駄目な部分もきっと愛しくなってくるってもんです。


面白いな、家族。
ちゃぶだい一つあれば、結びつく。


永瀬清子さんのちゃぶだい 
谷川俊太郎                        
  
  
 ちゃぶだいの上に飯がのった
 煮付けた大根がのった
 目刺しがのった
 トマトがのった
 ちゃぶだいの前に男が座った
 女と子どもたちが坐った
 沈みかけた太陽と
 遠い海と
 隠れた権力者と
 さまよい続ける兵隊が
 ちゃぶだいをかこんでいる
 指と爪の間に詰まった土をそのままに
 女の手が飯をよそう
 ちゃぶだいの畑で
 言葉は物言わぬ種子
  
 ちゃぶだいの上にノートがのった
 万年筆がのった
 出がらしの茶がのった
 一日の終わりの静けさがのった
 ちゃぶだいの前に女は座った
 乾いた月と
 ばらまかれた星と
 色あせぬ恋の秘密と
 国々の風の記憶が
 ちゃぶだいをかこんでいる
 昼間のからだの火照りのさめぬまま
 女の手が万年筆を握る
 ちゃぶだいの祭壇で
 言葉は天を指す緑の茂み
  
 日々の汚れた皿が
 永遠の水にすすがれている
 今日のささやかな喜びが
 明日への比喩となる
 永瀬さんのちゃぶだい


※永瀬清子=妻であり母であり農婦であり、旺盛な詩的活動を行った詩人。宮沢賢治の雨ニモマケズを発見した人でもある。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

creamy emi様

家族の写真、良いですね。

これらの写真を見てたら、
emi様のお父様より、お母様の方が要注意な気がしてきました。。

スピリチュアル。。

M

creamy emi さんのコメント...

Mさま

さすが勘が鋭いですね!
その通り、W家で1番現実的でまともなのが父で、母はふわぁ〜〜〜っとしております。私で「変わり者」と思っていたら、怪我しますよ。。