今日は授業中にお腹がどよんと鈍く痛くなったが、なんとか持ちこたえた。
その後、どうしても谷川俊太郎の、まだ読んだ事のない詩が読みたくなって、紀伊国屋書店へ。
「ぺ」という本と、「詩ってなんだろう」という本を立ち読む。(いずれも谷川俊太郎著)
私、約10年程前になぜだか流行ったミツル(326と書いたっけ。私の誕生日と同じ!やめてほしい。。)とか、ああいう「当たり前の/前向きな/偽善的な/優しさ」みたいなものを主張してる詩って昔から生理的に大ッ嫌いなんだけど、谷川俊太郎のような、私達が日常で使っている見慣れた言葉の意味を解いてほぐして、自由自在に再構築して、言葉と言葉の間に漂う空気で、読者に自由に全く新しい印象や想像させる、そんな詩人は大好きだ。
自分に酔ってもいないし、偉ぶってもいない。難しい言葉も、使わない。きれいな言葉だけを並べるわけでもない。むしろ、時には汚い(とされている)言葉も、使う。と、いうよりも、言葉の階級制度を無くしているって感じ。今流行ってるじゃない?「美しい言葉だけを使いましょう」って感じのムーブメント。あれって、言葉を差別してるじゃん、と思う。
「ですわ」は美しくて「だっぺ」は汚いのか。「香り」の方が「匂い」より格上なのか。
使う人の内面次第だと思うケドな。
とにかく、言葉って色んな可能性があるんだな、と思い出させられる。
そうそう、スピッツの草野マサムネの書く詩の世界観も、大好きだ。
(特に昔の「ウサギのバイク」「ウメボシ」とか。)
と、そんなことを考えながら、
文庫コーナーを、宮沢賢治の「注文の多い料理店」てどんなだっけ、とこれまた立ち読んだり、ビジネス書コーナーも流したりして(今回はひっかかるもの、まったく無し)、閉店の時間になり追い出された。
日本でも、ニューヨークでも、本屋にいると時を忘れてしまう。かといって、本の虫な訳でもなく、売れ筋や代表作、大作も網羅しているわけでもなく、レビューも読まずにピンときた本だけを買うから、かなり偏っていると思う。
とにかく、今日気付いたことは、今、私に刺激を与えてくれるのは「詩」だってこと。
メモとして、今欲しい本は...
(「今」欲しい本なので明日には変わるかもだけど。)
・谷川俊太郎「ぺ」「詩ってなんだろう」
・銀色夏生「つれづれノート・15」
・モンゴメリ「赤毛のアン・アンの愛情」
・まどみちおの詩集(Mamiちゃんの影響により)
といったところかな。
(ほとんどもう、立ち読みしちゃったんだけど^^;)
こう並べてみると、きっと私は今右脳を刺激したいのだろうなと思う。
そんなラインナップだ。(ひと月前に紀伊国屋やブックオフに行ったときは、いわゆる"勝間本"などのビジネス書を買い込んでいた。読んで、ほとんど売っちゃったけど... )
みなさんは今、満月の下、何を読んでいるのでしょうか。
(そういえば、オススメってあんまりする事もされる事もしないけど、人の本棚を見るのは大好きだ。)
谷川俊太郎 「夜のミッキーマウス」
夜のミッキーマウスは
昼間より難解だ
むしろおずおずとトーストをかじり
地下の水路を散策する
けれどいつの日か
彼もこの世の見せる
陽気なほほえみから逃げて
真実の鼠に戻るだろう
それが苦しいことか
喜ばしいことか
知るすべはない
彼はしぶしぶ出発する
理想のエダムチーズの幻影に惑わされ
四丁目から南大通へ
やがてはホーチミン市の路地へと
子孫をふりまきながら歩いて行き
ついには不死のイメージを獲得する
その原型はすでに
古今東西の猫の網膜に
3Dで圧縮記録されていたのだが
5 件のコメント:
夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった
っていう詩集のことを
昔ブログに書いた。
わたしも谷川好きよ。
あき
眺められ
終えた
グレープフルーツ本が
次の両手を
さがしています
追伸:言葉遊び しま専科?
>あきぽん
それ、読んだ事ない!また立ち読みしに行かなキャッ(買えって?)
>マドミっちゃん
それステキ☆
グレープフルーツ本の立場からなんだね^^
では、私の立場から...
次に手に取り 読む本は
砂糖まぶされ 甘すぎた
にがい果物 食べた後の まさにそれに似て
creamy emi様
右脳とか左脳という言葉をよく使ってるように感じるのですが、
左右の脳の役割を簡単で良いので教えて頂けますか。
右脳を刺激したい とはどういうことなのでしょうか?
M
Mさま
おはようございます。
携帯の引き落としがうまく行かず、早朝にコンビニに走って来たところです。(一時間以内に復旧予定)
ご質問の件、私の認識では、
「左脳は論理・理屈、右脳は直感・感覚」です。
この記事は、頭でばかり考えて、アンテナをおろそかにして、これではいけないなと思っていた頃に書いたのだと思います。
最近は、アンテナが立っているようです。
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