2012年8月30日木曜日

夏の恋人Stephen、秋の恋人Morgan


この夏、正確に言うと6月の始めから今日に至るまで、私はミッドタウンにあるNY公立図書館のメイン・ビル"Stephen A. Schwarzman Building"にほぼ毎日のように通っていた。ビザ申請の書類準備と活版印刷以外の仕事をする為で、自宅だと改装工事の音で集中できなかったり、ベッドがあるとシェスタとキッチン徘徊の誘惑が常にまとわりつくので、どこかオフィス代わりになる良い場所はないかと探した所、ここに行き着いた。

この図書館は、その建築と内装の素晴らしさから観光名所のひとつでもあり、私も見学したことはあるものの、利用した事はなかった。 条件として考えていた「wifiが繋がり、電源があり、静かである事」はもちろんの事、細部にまで装飾の施された美しい壁や圧倒的な天井画、膨大な数の蔵書がシンと無言でこちらを待っている感覚、そして周りの利用者達が皆真剣に勉強や仕事をしている雰囲気に、「これ以上の場所はない」と感動したのだった。

始め、3階のRose Roomという大広間を利用していたのだが、ある時、奥に小さな部屋があることに気がついた。 そこは美術や建築専門書が収められている部屋で、「入っていいのかな」と思いつつもそうっとドアを開けると、大広間よりもさらに数デシベル静かな空間が広がっていた。それ以来、その部屋は私の世界一集中できる最高のオフィスになっている。

 毎日のように通っていると、部屋を出るたびに本を盗んでいないかチェックする係の黒人のおじさんも、バッグの中身を見ずして"No books? Good to go"と甘くなるし(そもそも始めからちゃんとチェックなんてしていなかったのだけど)、館内に入っている小さなカフェの寡黙なお兄さんも、コーヒーの注文の際に"Whole milk, right?"と覚えてくれ、少しだけ口角を上げてくれるようになった。

シーンとした図書館で、ひたすらにパソコンと向き合った後は、裏に広がるブライアントパークの椅子に座り、夏恒例の様々なフリーの催し〜卓球やジャグリング、チェスや語学レッスン等々〜を楽しんでいる人々を眺めて目を休めた。

芝生の上では無料の映画上映もあり、8月中旬には図書館で仕事をした後に場所取りをして、スペインから来た友人と"All About Eve"(イブの総て)を寝そべって観た。

とにかく、この夏はずっとこの大きな図書館とブライアントパークと一緒だった。
それが先週あたりから、図書館の大きな窓から西日が差す時間が少しずつ早くなったことに気がついた。 8月20日の"Raiders of the Lost Ark"(インディ・ジョーンズの一作目)の野外上映を境に夏が終わった気がする。

今日は弁護士と会う為に(先週、銃撃事件のあった)エンパイア・ステート・ビルへ行ったのだが、そのワン・ブロック先に、これまたNY公立図書館の一つ、"Science, Industry and Business Library (SIBL)"という図書館があるので寄った。
ここはビジネス系の図書館の為か、椅子がハーマン・ミラーのアーロンチェアでとても快適なのだ。Stephen A. Schwarzmanの方は固くて重い木の椅子なので、おしりが痛くなるし、ひく時にギィと言って静まり返った部屋に響き渡るので気を遣う。でも、そういうことを踏まえても、やっぱりどこの図書館よりも圧倒的に魅力的なのだ。家から近い、ブルックリン公立図書館等、ちょっと浮気をしてみようとしたけれど、やっぱりここに戻ってきてしまう。(あそこは館内全体が何か揚げ物っぽい匂いがする。。)
頭がいいのと、親には負担をかけたくないというので奨学金で大学へ入学、もの静かで品格があるのに、みんなに(公立だけに)大きく心を開いている人気者、Stephenはそんな性格なのだ。

でも、今日見つけてしまった。 新たに魅力的な図書館を。
その名も"Morgan Library & Museum"。
前々から外観を見て気になっていたのだが、今日とうとう足を踏み入れてみたら、Stephen A. Schwarzmanとはまた違ったスノッブな魅力があった。それもそのはず、こちらはこじんまりとした私立図書館(兼美術館)で、そのまま公立と私立の学風の違いのようなものだ。1906年に、あのJ. P. Morgan氏の邸宅兼私用図書館として建てられ、2006年にはイタリアのデザイナーRenzo Pianoがエントランスや内部の改装を手がけたとの事で、小粒ながら洗練度がハンパない。
ミュージアムショップを覗いたら、製本や印刷に関する本が並んでいて興奮。趣味が合った!
Ellisworth Kellyという、ミニマムな作風の彫刻家の展示が良さそうだったので、入館料$15を払って入ろうとした所、係のお兄さんに「今日はもうすぐ閉まるし、金曜日ならタダで入れるんだから今度にしたら?」と言われ、出直す事に。

外見と育ちの良さそうな雰囲気に惹かれて、中身はまだ見ていないので、想像は膨らむばかり。

まるで恋の始まり。
でも、結局またStephenに戻るのだろう。
この夏を共にした、大らかな夏の恋人、Stephenへ。

Stephen A. Schwarzman Building

Morgan Library & Museum

2012年8月26日日曜日

残暑お見舞い申し上げます〜ペンギンの巡り合わせ〜

残暑お見舞い申し上げます。

というタイトルのブログ記事を書いたのは、二年前の夏でした。
80年代に、聖子ちゃんの歌をBGMにポテッとしたペンギンが登場する、サントリー缶ビールの名CMがあったことを覚えていらっしゃる方は多いと思いますが、私は昔からこのCMが大好きです。Youtubeが発明されてからは毎年夏になると、花火やお素麺と並ぶ夏の風物詩として、1人で動画を楽しんだり、友人達に暑中見舞いや残暑見舞い代わりにEmailで送っては「懐かしい」「夏を感じる!」と好評を得ていたのでした。

この大好きなペンギン動画をブログ記事に載せた所、前述の田中啓一さんより「あのCMのコピーを作ったのは僕の友人なんだよ。エミちゃんのブログの事もお教えしたよ。」とご連絡をうけ、驚いているのもつかの間、その作者のご本人よりコメントを頂きました。
あのCMを見て、幼心に懐かしさやせつなさを感じたのは板橋区に住んでいた7歳頃のことだった筈で、まさかその20数年後に制作者の方とお話しするなどとは想像できた訳もありません。

その方の名は、渡辺裕一さん。

サントリー缶ビールのペンギンシリーズや、日清カップヌードルのアーノルド・シュワルッツネッガー起用のCM「ちからこぶる。」、ジャネット・ジャクソンを起用したJALの「只今、JALで移動中。」等々、数々の名コピーを産み出して来られた売れっ子コピーライターであり、「小説家の開高さん」という、とてつもなく面白い本を書かれた作家でもいらっしゃいます。

渡辺さんは開業医の1人息子として生まれ、親戚は殆どお医者さん、医者に非ずは人に非ずという環境に嫌気がさし、高校卒業後、過酷な労働で有名な蟹工船の乗組員として、函館からカムチャツカへ向かいます。この本の面白さは、10編に渡るお話の全てが、そんな渡辺さんの実体験を元に書かれているというところにあります。そして、ただの痛快な冒険談というのは、炭酸ソーダのように喉元に一瞬の爽快な刺激を感じた後、すぐに消えてしまうものですが、渡辺さんの文章のように、旅の先々で出会う人々(時には動物)とのささやかな会話や交流、表情、そして普通の人なら忘れてしまうような情景を繊細な感受性で記憶し、それを的確な言葉で再現されている冒険談は、灼けるように熱く強烈な温度が深く長く残ります。度数の高い、強いお酒を飲んだ時の、カッとして胸にジーンと残る熱さに似ているかも知れません。

私は「小説家の開高さん」を、晴れた日のブライアントパークの芝生の上で、ブルックリンからマンハッタンへと向かう地下鉄Q線の中で、あるいはルームメイトが寝静まった後の布団の中で、何度もランダムに開いてはその冒険を頭の中で映像化し、そのつど目眩を覚えてます。

タイトルでもある「小説家の開高さん」の章に、渡辺さんが憧れていた開高健氏の、「やりたいことをやり尽くしなさい。飲み尽くしなさい。あとで戻ってきても、何も残っていないのだよ。」という言葉が出てきます。この言葉に渡辺さんほど忠実に生きていらっしゃる方はいないように思います。

私の表現力ではとてもお伝えしきれていませんが、是非ご一読なさってみてください。
「小説家の開高さん」(フライの雑誌社)

そして、渡辺さんのとっても面白くて気持ちの良いブログも、是非!
文章力の高さに「さすがプロだなあ...」と毎回脱帽させられます。
「酒の肴日記」



2012年4月3日火曜日

猫の集会仲間〜田中さんの事〜

1999年、NYでの1年間の留学生活を終え、日本に帰国した初夏でした。 休学していた大学に復学したものの退屈で仕方なく、心に決めていたデザイン専門学校の受験の為にデッサンを初めていた頃、 NYで知り合ったYukiという、いまや家族のような友人が日本へ数ヶ月遊びに来ました。 彼の情熱的で真っすぐな性格と若さ(当時はお互い20歳そこらでした)に触れ、NY帰りで勢いづいており、高ぶった気持ちが日本で行き場をなくしていた私は、毎夜のようにYukiと出かけては人と出会い、何か突破口を見つけようともがいていました。

Yukiには、日本にいる間に何か大きな事をしようという目的があったのですが、それが現実となったのが、彼が企画をした"Quiche"というパーティでした。ゲイであるYukiによると、"Quiche"=キッシュというのはゲイの象徴的食べ物との事での名付けでしたが、この企画はゲイパーティではなく、面白い事、新しい事を求めているクリエイティブな人達の為のパーティというものでした。
Yukiの熱意に共感された方々のご協力をもとに、会場は246沿いの青山ブックセンターの手前にある"un cafe"というレストランの広い中庭に決まりました。
フライヤーを刷り、手分けしてこれぞと思う場所に赴いては来て欲しいと思う人に片っ端から配りました。例えば、新宿伊勢丹の中に当時気に入っていた、Colette Maloufというヘアアクセサリーのブランドが入っていたのですが、そこの店員さんが素敵だったので、「今夜なんですが、、絶対に面白いので来て下さい!」と渡したり、道を歩いていていい感じの人がいたらつかまえて、「あのぅ...」と手渡していました。

さあ、やれるだけの事はやった、だけど果たしてどのくらいの人が来てくれるのだろうか、という心配は、開始時間と共に吹き飛び、庭は人で埋め尽くされました。 伊勢丹の店員さんも、同僚の方を連れて「ほんとうに来ちゃいました!」と顔を見せてくれました。

 私はYukiと共に、お客さんに挨拶をしたり気を配ってまわる、つまりホステスの役だったのですが、その中で田中啓一さんと出会いました。 そこで何を話したのかはよく覚えていませんが、とにかくそれから、ギャラリーオープニングや新しいカフェの開拓、クラブ遊び、ドライブ等々、よく遊んで下さるようになりました。 お酒を全く飲まないこと、凄い方なのに偉ぶる様子が全くないこと、そして誰よりも気持ちが若い、という部分は、あれから何年経っても変わっていません。

以前、某ソーシャルネットワーキングサイトで田中さんから頂いた紹介文が、この不思議な関係を的確に表現されていたのでご紹介したいと思います。  
関係:猫の集会仲間
 猫は近所に住んでいる飼い猫、ノラ猫問わず、定期的に集会をするらしいです。そこで何をしているのかは定かではありませんが、何となく僕達もそんな関係かなと思います。2人で会うことはあまりなく、仲のいい友達たちとたまに会い近況報告やあてどもない四方山話に花を咲かせるという、ながーく続きそうな関係です。
正にその通りです。次の集会ではお互いどんな魚を口にくわえて集うのか、今から美味しい魚をキャッチすべく、ヒゲのアンテナを張り巡らしておかなくては...。
 
あの1999年の初夏、その中庭でのパーティは、文字通り私にとって出会いの庭であり、海でした。あの夜撒かれた出会いの種が、13年経った今でもその葉脈を辿ってびっくりするような花を咲かせることがあります。

たとえば、その田中さんが本当にひょんなきっかけからご紹介下さった、渡辺裕一さんのこと...。


〜次回につづく〜


【田中啓一さん】
「COMME des GARÇONS HOMME」「COMME des GARÇONS HOMME HOMME」のデザイナーとしてご活躍の後、2010年よりご自身のブランドKONTRAPUNKT(ドイツ語で対位法)をスタート。
ブランドコンセプトの「古典や基本を尊重し、且つ前衛を恐れず、常に新鮮であり続け、華美に走らない、そして、時としてウイットを感じさせるデザイン。文化的な思考をする人、特に芸術に関心のある人へ向けた被服。」というのは、正にそのまま田中さんの内面を映し出しています。
KONTRAPUNKTのウェブサイトはこちら!→ http://www.kontrapunkt.jp/

2012年3月19日月曜日

My First Sony



子供の頃に父から贈られたもので特に思い出深いものといえば、前にブログ記事にした"おふう"と、この"My First Sony"シリーズのウォークマンです。

再生/巻き戻し/早送り/停止のシンプル極まりない構成にポップな配色。(赤丸ボタン=録音機能すらなかった)
かなりのお気に入りで、高校生になってもまだ現役で使っていました。
裏面がスケルトンになっていて、中の構造が丸見えなのがまた可愛かったんです。(画像が無いのが残念)
調べてみたトコロ、「幼少時からソニー製品に親しんでもらい、大人になっても買ってもらう」という戦略だったらしいのですが、周囲の「絶対売れない」という意見を押しのけての開発の結果、子供のみならず一部のデザイン好きの大人まで夢中にさせるヒット商品となったとの事です。Appleに対抗してまたこういった独自の「万人受けはしないけど、好きな人は異常に好き」(←ちなみに好きになる人は男女問わずこんな感じかも..)な製品を作って欲しいなあ。(すみません、完全なMacユーザーのくせに)

 これが"My First Sony"のコンプリート...POP!

年頃になると、友人や好きな男の子とミックステープを送り合ったりもしました。
選曲はもちろん、曲順やラベルのデザイン(もちろん手描き)にも物凄くこだわったり、一曲一曲解説までつけたりして...。(根がオタクなんですね)
そして相手から送られたテープをこの赤いウォークマンにセットして通学/通勤しつつ、「へぇ、なにこの曲いいじゃん」と思うと、それが次に家族で車移動する時のBGMになるわけです。父は小唄やオールディーズ(今では大好きですが)を聞きたがるので戦いつつ。。

テープが 好きでした。オモチャのようにガチャガチャとラフに扱える気軽さと、巻き戻しや早送りで再生したい箇所が指先の感覚で把握できる所。

同じ世代の方なら「赤い」といえばスイートピーではなく、「彗星=シャー・アズナブル」でしょうが、私は10代を共にしたこの再生機を連想します。

キュルキュルという、懐かしい音と共に。



Yamaha-Mitsubishi-Toyota-Suzuki-Sony-Minolta-Kawasaki-Sanyo-Casio-Toshiba

2012年3月7日水曜日

忘れられたタイトル

どうしても思い出せない映画のタイトルがある。

小学校、たしか4、5年生くらいの時に、姉と共に母に連れられて観に行った映画。

新宿か、もしくは渋谷あたりの映画館。

ニューヨークを舞台にしたドキュメンタリーだった。

地下鉄の階段を降りるシーンと、何よりも鮮烈に焼き付いているのが、

10代の黒人の子供が路地裏で刺されるシーン。

Tシャツをぺろっと捲って、脇腹の傷口を見せながら「こんなことは日常茶飯事だよ。」というセリフ。

白黒だった気がする。

それがハーレムを舞台にしていたのかは思い出せないが、

そういった子供達の母のようになっているパーマヘアーの日本人の中年女性が主人公だった。

母や姉に聞いてもうろ覚えだった。

当時の私のニューヨークのイメージといったら、この映画の殺伐とした感じとキースへリング だった。

あの映画が制作されてから二十数年。 

ニューヨークは随分と安全な街になった。

と思っていたら、週末空き巣に入られた。

空き巣というとまだ平和な感じがするが、家に居たら強盗だったかも知れない。

空き巣が入った前夜、だれも帰宅していない家に1人戻った私は、何か妙な空気を感じた気がして、わざわざ洗面所の窓ガラスの汚れをじっと見て「ガイコツに見える!!」と思い込んで腰を抜かしそうになったり、霊は音を怖がるというので手を叩きまくったり、挙げ句の果てに恐くて居てもたっても居られなくなり、近くに住む友人宅に「ちょっと...今からお邪魔していいですか?」と押し掛けるという、軽く狂った行動をしていた。

今から思うと、虫の知らせだったのだろうか。 虫というか、霊の。

とにかく、ルームメイト共々、命が無事で良かった。

警察によると、黒人のティーンエイジャーのグループによる窃盗のリポートは、毎日あるという。

そこからそのキッズ達の生活を想像していて、何億もの記憶のヒダに埋もれていた映画の断片が蘇ってきた。

でも、タイトルが思い出せない。

どなたか心当たりのある方はご一報を。

厄払いの方法も、一緒に沿えて頂けると助かります。

2012年2月1日水曜日

You Can't Hurry Love



I need love, love
Ooh to ease my mind
And I need to find time
Someone to call mine
My mama said

You can't hurry love
No, you'll just have to wait
She said love don't come easy
Well it's a game of give and take

You can't hurry love
No, you'll just have to wait
Just trust in the good time
No matter how long it takes

But how many heartaches must I stand
Before I find the love to let me live again
Right now the only thing
That keeps me hanging on
When I feel my strength
Ooh it's almost gone
I remember mama said

You can't hurry love
No, you'll just have to wait
She said love don't come easy
Well it's a game of give and take

How long must I wait
How much more must I take
Before loneliness will cause
My heart, heart to break

No, I can't bear to live my life alone

I've grown impatient for a love
To call my own
But when I feel that I, I can't go on
Well these precious words
Keep me hanging on
I remember mama said

You can't hurry love
No, you'll just have to wait
She said love don't come easy
Well it's a game of give and take

You can't hurry love
No, you'll just have to wait
Just trust in the good time
No matter how

And now break
Now love, love don't come easy
But I keep on waiting, anticipating
For that soft voice to talk home at night
For some tender arms to hold me tight
I keep waiting, ooh until that day
But it ain't easy, no it ain't easy
My mama said

You can't hurry love
No, you'll just have to wait
She said love don't come easy
Well it's a game of give and take
You can't hurry love
No, you'll just have to wait

2011年11月10日木曜日

Where Is George?

めまぐるしい日々の中、こんな時だからこそと、お札を1枚1枚丁寧に向きを揃えてお財布に入れたりして、(B型なのに)A型ぶってみていたところ、妙なものを発見した。

1ドル札の1枚に、手書きで"Track this bill"と書いてある。そして、その横にうっすらとwebsiteアドレスが。今、一分一秒を争う忙しさなのに、こんなものに構ってる場合じゃ...勿論、すぐにURLを打ち込み、検索した。 それはwww.wheresgeorge.comというサイトで、このwebsite情報が書かれた紙幣の番号を打ち込むと、どういう経路でその紙幣が自分の手元に渡ってきたか、トラッキングできるという仕組みであった。もちろんGeorgeは1ドル札に載っている、ジョージ・ワシントンから。
へええ、面白い。で、早速(忙しいのに...)番号を打ち込んで調べてみると、、私の元にやってくる前はニュージャージーのニックという男性の元にあったらしい。その前は、ブロンクスのキャシー。これは特に何の役にも立たないけど、ただの1ドル札が急に伝書鳩かメッセージボトルのようなロマンチックなアイテムに思えて来る。ブルックリンのエミコから、次はどこの誰に渡るのだろう。お金は巡り巡っていくのですね。

余談だが、父がアメリカで働いていた頃、彼の通称はGeorgeだったそうだ。由来は、赴任時にShigeoという本名がアメリカ人には難しかったため、最後のgeoを取ってGeorgeとのこと。なかなか上手い、と思った。

2011年9月1日木曜日

希望的人生計画

今日は用事を済ませた後、大急ぎで閉店前のBook-offへ駆け込んで向田邦子を2冊買い、日系スーパーSunrise Martミッドタウン店でサンドウィッチをゲットし(閉店間際だったので2ドルオフだった)、NYパブリック・ライブラリーの前のイスで食べる。

お騒がせハリケーン女・アイリーンが大暴れして、風のように(風だけど)去った後のニューヨークは、あり得ないほどの素晴らしい秋晴れが続いている。秋晴れ、と言ったものの、心の底ではまだ夏が終わった事を認めたくないと思っている。とはいえ、今年の8月は仕事が順調に進んだり、両親が日本から約2週間も遊びに来ていたので、夢のように楽しく幸せな夏の思い出ができた。(その詳細は追って..)

それでもやはり、夏が終わるのを認めるのはいつも苦手だ。
そう簡単には認めてやるもんか、という意地もある。

そんな事をブツクサと考えながらサンドウィッチをあっという間に食べ終わると、喉が渇いてきた。(というより、喉がつまった。カツサンドだったので...。)

もう9時だったので、ブライアントパーク近くで開いているお店を探すと、意外と見つからず、Pret a Mangerというなんの面白みも変哲もないサンドウィッチ屋に入り、アールグレイを頼んだ。

閉店まで小1時間あったので、台風の目の様に忙しくなるであろう9月に突入する前日、嵐の前の静けさがある内にと、これからの自分の「希望的人生計画」をざっくりと書き出して頭を整理してみようと思い立った。

その内容は、みなさんの失笑を買いそうなのでとてもとても載せられませんが、載せないところで既に自分で笑ってしまっている。なので、笑ってしまった部分のみ、ご披露します。(他の部分は、笑えずに「引く」こと必至。)

たとえば、「34歳か35歳で結婚する(現在は32歳)」と、結構な筆圧で書いてあるけれど、「彼氏は?」と聞かれれば、「え?居ません。」

さらにトんで47歳、「子育て(1人か2人)が落ち着いた頃、東京もしくは、どこか外国の港町で小料理屋(居酒屋)を出し、日替わりで訪ねて来てくれる友人達と懐かしい思い出話に花を咲かせる。」ですって。完全に向田邦子の影響入ってますネ...。(照レ)

さらにさらにぶっトンで、97歳、「奇跡的に生き長らえているお友達との思い出話で爆笑中に、笑死。 」とのこと。この辺りになるともうフザケてますね。幸せそうな人生ですね。私を笑わせて昇天させて下さった方は、天国へ行ける事でしょう。

恥ずかしいので絶対に人様にはお見せ出来ませんが、 書いてみて、ハリケーンにチリを払われたような、清々しい気持ちになりました。何と言っても私は、18歳の時に映画監督になろうとNYへ留学したのに(その時は1年間)、ひょんなことがきっかけでグイッと方向転換して、帰国時にはデザイナーを志していたような人間ですし、計画通りに行くことなんか滅多にないだろうけど、それでも自分が人生で何に価値を置いているのか、どういう生き方をしたいのか、大まかですがクッキリと見えた気がします。


BGMに選ぶとしたら、この歌でしょうか。
中島みゆきがオリジナルですが、私はこのちあきなおみバージョンの方が好きです。

「流浪の詩」
作詞作曲・中島みゆき


さあママ 町を出ようよ
激しい雨の夜だけど
仕度は 何もないから
はだしでドアをあけるだけ
形見になるようなものを
拾うのは およし
次の町では そんなものは
ただ邪魔になるだけ

いつもこうなることぐらい
わかりきってるものだから
必ず町で一番
暗い酒場で ママは待つ
こんどは西へ行こうか
それとも南
愚痴はあとから聞いてあげるから
今は泣かないで

東の風が吹く頃
長距離バスが乗せて来た
あの人の黄色いジャケツ
それから先は
おきまりどおりに家をとび出した
遠い遠い昔のこと

何度も 人違いをしたわ
あの人には めぐり逢えず
旅から旅をゆく間に
顔も忘れてしまってた
それでも 旅を忘れて
悲しみを捨てて
ひとつ 静かに暮らしてみるには
わるくなりすぎた

いつか東風の夜は
あたしの歌を聴くだろう
死んでも 旅をつづける
女の歌を聴くだろう
片手にママと名付けた
黒猫を抱いて
暗い夜道で風を呼んでいる
声を聴くだろう

東の風は いつでも
長距離バスを乗せて来る
あの人の黄色いジャケツ
それから先は
おきまりどおりに 家をとび出した
遠い遠い昔のこと

さあママ 町を出ようよ
激しい雨の夜だけど
仕度は 何もないから
はだしでドアをあけるだけ
形見になるようなものを
拾うのは およし
次の町では そんなものは
ただ邪魔になるだけ

東の風が吹く頃
長距離バスが乗せて来た
あの人の黄色いジャケツ
それから先は
おきまりどおりに家をとび出した
遠い遠い昔のこと

風は東風 心のままに
いつか
飛んで飛ばされて
砕け散るまで だから

風は東風 心のままに
いつか
飛んで飛ばされて
砕け散るまで 




根無し草っぽい雰囲気がプンプンしますね...。


皆さんの壮大な「希望的人生計画」も良かったら今度こっそり教えて下さい。
減るもんじゃないですし、せいぜい私に笑われるだけで済みますよ!

そして恐らく私の計画を聞けば、「ああ、自分の計画はなんて現実的なんだ」と勇気が湧く事でしょう。




2011年8月27日土曜日

孔雀の家出

 「ナイト・オン・ザ・プラネット」(原題は"Night on Earth")という、ジム・ジャームッシュが監督したオムニバス映画がある。
パリ、ヘルシンキ、ローマ、ロサンゼルス、ニューヨークを舞台に、タクシードライバーと乗客とのやり取り/人間模様を描いたもので、10代の頃に観て面白いと思った映画のひとつである。

現実に、タクシーという乗り物は、バスや電車と違ってドライバーと乗客との間に会話が生まれる確率がとても高い。
両者の組み合わせの偶然性と、ランダムな会話から生まれる物語の数を思うと、くじを引くような気持ちで手を挙げてしまう。

ニューヨークのタクシー、通称「イエローキャブ」のドライバーは、その運転の乱暴さと感じの悪さで悪名高い。確かにそれは事実なのだが、運良く「アタリ」のドライバーに当たれば、目的地に着くまでの間に、「ナイト・オン・ザ・プラネット」に匹敵する脚本がスラスラと書けそうな程の面白い話を聞く事も出来る。

私は基本的には、東京でもニューヨークでも、タクシーでは窓から流れる景色を静かに観て過ごすのが好きで、自分からはあまり話しかけないのだが、お喋り好きで/キャラクターが濃く/話が面白い、つまり「アタリ」のドライバーの車を引いた時には、面白い映画を観るように、前のめり気味になって話を聞いてしまう。

最近は幸運にも「アタリ」のドライバーに当たる率が高い。


つい先日のこと。

ルームメイトのNちゃんとメトロポリタン美術館へ行った帰り、友人アーティストのギャラリーオープニングまで時間があったので、ダイナーでお茶をすることになった。店に入った途端、土砂降りになったので、しばらく飲み物1杯でねばって夕立が過ぎるのを待っていたが、やむ気配がないのでタクシーで駅まで行く事になった。

このドライバーが、久々の「アタリ」であった。

そのインド人の運転手(名前は失念、それどころか名前を書いた紙を最後に渡されたのに失くした)は、乗り込んだ瞬間から「お喋りタイプ」に分類できた。昔日本へ行った事があり、その時に10人の女性に求婚された、だが自分は一つの場所に居られないたちだから全員振ったのだ、等々、ハッタリにも自慢にも聞こえる話だがなぜか鬱陶しく感じさせないという才能の持ち主だった。そして、セントラルパークの横の5番街へさしかかった時のこと。「知ってるか?昨日のクジャクの件」というので、"No, what happened?"と聞くと、インド訛りの英語で、その奇妙で美しい事件の顛末を話してくれた。

前日のこと、セントラルパークには小規模な動物園があるのだが、そこで飼っている孔雀が、何のはずみでか逃亡したらしい。それも、飛んで。第一に、孔雀のあのゴージャスな羽根は魅せる為のものであって、飛ぶ為には機能しないと思い込んでいたので、もうそこで前のめりになった。

とはいえ、やはりこの玉虫色の美しい羽根を持つ鳥は、遠くへは飛べないようで、彼(♂の孔雀との事、つまり、より美しく派手な羽根を持つ方)の選んだ逃亡先は、道路を挟んだすぐ向かいの高級アパートの5階の窓のフチ。そして、そこに何と5時間も佇んでいたという。その間、近隣の住民から旅行客まで、その孔雀の一挙一動に目が釘付けだったのは言うまでもない。

帰宅後、早速"Peacock/escape/Central Park"で検索をかけてみた所、NY TimesからDaily Newsまでこぞってこの珍妙な事件を記事にしていた。
中でも、どこの新聞社か忘れてしまったが、あえてこの孔雀ではなく、それを見上げる人々の顔を撮り集めた記事が面白かった。ぽかんと放心して口を空けている人、iphoneで写真を(恐らくTwitterで実況中継)撮るのに忙しい人、やれやれまた変なことが起きているぞとどこか呆れ顔の人等々、それぞれの反応のバリエーションの豊富さに「ああ、ニューヨークらしい。」と満足した。

そして5時間もの間、ニューヨーカー達の注目を思う存分ひとり占めした後、家出孔雀は再び飛んで「マイホーム」に戻ったそうである。

こんなこぼれ話が聞けるのもまた、ニューヨーク・イエローキャブの良い所。

また「アタリ」が引けますように。

そして、いつか孔雀様のつかの間の逃亡先に選ばれるような素敵なアパートに住めますように。



P.S.ニューヨークでは大型ハリケーンが到来するというので、明日は地下鉄も止まります。今夜はまさに嵐の前の静けさ。「週末なのにどこにも行かない」んじゃなくて「行けない」妙な安心感を逆手に、活版印刷の続きと、読書と映画に精を出したい、などど呑気に構えていますが、それも窓が割れたり天上が落っこちてきたり浸水しなければの事。私はサバイブするのに妙な根拠のない自信がありますが、非難区域の皆様、どうかお気をつけ下さい!ドンと来い、アイリーン!


2011年8月3日水曜日

シビルとの思い出

今日はマンハッタンに用事があったので、帰りに日系スーパー「サンライズマート」へ立ち寄り、素麺に茄子、大葉などで埋まって行く買い物かごを見て夏を実感。

サンライズマートの下にはアート関連の本が充実した良い本屋があるので、ここにもついでに立ち寄って、ニューヨークの5つのボロー〜Manhattan, the Bronx, Brooklyn, Queens, Staten Island〜の多種多様な店の看板を撮りまとめた写真集を座り読み(椅子があったので)。

それからユニオンスクエアまで歩く途中、足はSTRAND BOOK STOREの方向へ。
と言っても、今回は立寄らなかった。

98年の春、1年間ニューヨークに留学させてもらっていた際に、アパート探しをする半月ほどの間、父が昔アメリカで勤務していた時の同僚の知人「シビルさん」のアパートにお世話になっていたのだが、それがSTRANDの横のビルだった。
12丁目の4アベニューの77番地。今では考えられない程の恵まれた立地である。

「ああ、ここに居たっけな」と思いながら見上げると、年月の層に埋もれていた記憶が蘇って来た。

まず、そのお婆さん〜シビルさん〜は、初めて会った時、「ああ、この人は相当の偏屈者だな」とわかった。基本、笑わないし、部屋がとても汚い、というかやけに散らかっていた。
夫はなく、死別した訳でもなく、生涯1人者のようだった。

パスタを作るけど、食べますかと聞くと、「私はバターと塩だけの味付けで。それ以外は食べない。」と言う。太るのを気にしていると言う割に(すでにかなり太っていらしたが..)、夜中にバケツ程の大きさのアイスクリームを毎晩、半分くらい平らげていた。「あの...それって、、太らないの?」とおそるおそる聞くと、「見てご覧、エミコ。これはTofuty(トーフーティ)っていうアイスで、トーフで出来ているから安心なんだよ。ガハハ。」と自信たっぷりに言うのには泡を吹いた。

足が悪いので、私の腕を取って歩くのだが、基本的には杖を使って文句を言いながらもガシガシ歩く。ある時2人で歩いていると、赤信号なのに構わずズイズイ歩いて行く。ニューヨークでは警察でさえ信号無視は日常茶飯事で、その代わり、ちゃんと車が来ないかは皆見ている。(だから、逆に事故が少ないと聞いた事がある。)だが、シビルは車も全く見ていない。案の定キャブがバーッと走って来て、シビルの前で急ブレーキを踏んだ。普通のお婆さんならうろたえる所だが、そうはいかないのがシビルさん。
持っていた杖をタクシーのボンネットにバシッ!バシッ!と打ち付けつつ、「気をつけろ!バカもの!」と怒鳴り散らしていた。これには衝撃を受けた。「さっ、エミコ、行くよ。腕!かしな!」と引っ張られつつ、「ニューヨーカーってたくましい...」という観念が私に植え付けられた。

そして、ひとり者のおばあさんには欠かせないアイテムとして、猫が2匹居た。これが致命的で、私は重度の猫アレルギーなのだ。とはいえ、不思議と長毛種は平気で、日本の実家ではタヌキそっくりの「ポンちゃん」という異常に可愛いヒマラヤンと8年間も一緒に暮らして平気だった。だが、困った事にシビルさん家の猫ちゃん達は、揃って短毛で、私は「こりゃ死ぬ」と思った。案の定、初日の夜から、私の個室には猫は入らないようにしたものの、前日まで、というか、それまで何年も猫が居た部屋には、掃除しても掃除しても目には見えない無数の猫毛が宙を浮遊しており、私を苦しめた。早速喘息の症状が出て、肺をヒューヒュー言わせながら、「一刻も早く猫を窓から放り...じゃなくて私が出て行かなければ...」と思った。

その頃はインターネットもなく、携帯電話もなく、気管支ヒューヒューが邪魔して寝付けないので、お昼にユニオンスクエアにあるBarnes & Nobleという本屋に入っているCDショップで買ったCDをプレイヤーに入れて、その中でもお気に入りだった曲を何十回も、シビルを起こさないよう小さい音量でかけた。それはFrente!というバンドのBizzare Love Triangleという曲だった。(New Orderのカバー曲)

窓の外を見ると、今はChase Bankの醜いビルに遮られて見えなくなってしまった、Carl Fischer という楽譜専門の出版社の音符のマークが特徴のビルの向こうで、空が白みかけていた。ホームシックで少し涙を流しつつも、いつの間にか眠りに落ちていた。

次の日は、喘息が本当に苦しいという事で、どうやって見つけたか、コリアンタウンにある中国人ドクターの医院(今思えば確実にモグリ)という怪しさ満点の所へワラをもつかむ思いで行った。なぜここを選んだのか、全く思い出せないが、電話帳で調べたか、シビルの入れ知恵、しか思い当たらない。

中国人ドクターに症状を説明し、怪しい英語で何かを返された後、「ハイ、じゃオシリを出しなさい」と言われた。「えっ。今なんて...?ホワ〜イ!???なぜに??」である。でも、目付きと口調から、これは変な意味ではない、と判断した私は大人しくオシリをさし出した。すると、横に居た看護婦さんが「これをウッチマース」と、見た事もないような大きく太い注射を出すではないか。
逃げ出そうかとも思ったが、もうどうにでもなれ、という心境でもあったので、覚悟を決めた。看護婦がオシリの頬っぺたにブスリ...。
この注射が、後にも先にも比べるもののない程、痛かった。
そして、その日からシビルの家を出るまでの半月の間、喘息はぴたりと治まった。猫を始末せずにして、である。

あの時オシリに打たれたものは何だったのだろうか。
それは知る由もない。

そして、シビルと猫達は今もあのSTRANDの横に住んでいるのだろうか。
これは、知る由はあるけれど、、勇気がない。


2011年8月2日火曜日

逆フラッシュバックと「痛い!寒い!ワーイ!」

先日、メキシカンレストランで、仲良しの友人2人と食事をしていた時のこと。

Mちゃん(10数年来の親友)が「赤毛のアンの舞台ってどこだっけ?あそこにねえ、行ってみたくてしょうがないんだ。...ね、年を取ったらみんなであそこに家を買って、好きな時に住むっていうのはどう?」

私「プリンス・エドワード島!私も赤毛のアン大好きで、何度も読んだよ。いいね、みんなで住もうか。まあ、70才くらいになったらね。」

Mちゃん「あなたのトレーニングルームもちゃんと作るからね!」

Kくん 「...俺、そんなおじいさんになってもまだ食い続けなきゃいけないのかよっ...!!」(Kくんは食べる事が職業の特殊なアスリートなのです)

一同、一瞬その図を想像して沈黙の後、大笑いしました。

と同時に、一瞬みんなの「老後」に思いを飛ばしていた私は、その未来の地点から「いまの自分たち」を振り返ってみて、懐かしくて胸が締め付けられるという妙な感覚を覚えました。

「みんな、若かったね...」と。

 この感覚は実は初めてではなく、確か高校1年のお正月に、友人達と初詣などをした帰り道の渋谷から実家へ帰るバスの中で、それから友人と居酒屋などでたわいも無い会話をしている時に、あるいは恋に落ちてしまった時なんかに、ふと感じてきました。未来から「いま」を振り返って見る、「逆フラッシュバック」とでも言うのでしょうか。。


私は18才の時にも1年間NYへ留学していたのですが、当時、5、6つ年上の彼氏がいて、彼の精神年齢はともかく...色んなことを私よりも知っている(...ように見えた)という点で当時は夢中になっていました。そして、「ナニナニっていう芸能人が好きって言ってたけど、私全然にてない...」などと、今では信じられないクッダラナイことで毎日ヤキモキしたりしていました。

ある日、日本から彼の友人カップルが遊びに来た時の事。その2人は、彼女がちょうど今の私くらいの年〜32、3才で「恋愛にこなれた感じの素敵なお姉さん」、彼氏は25才くらいで「年にしては落ち着いている」というカップルでした。
男性陣が近所に出かけて行って、彼女と2人きりになった瞬間、私はその大人びたお姉さまに今だ!とばかりに質問を浴びせかけました。
「彼氏もモテそうなのに、どうしたらそんなに落ち着いていられるんですか?不安とかはないのですか?私もう、ヤキモキするの嫌なんです。どうか平静でいられる秘訣を教えて下さい!」と。
 その時に彼女が放った一言が忘れられません。

「えみこちゃん、私はね、男は浮気したり、常に遊びたい生き物だと思うのよ。だから◯◯◯(彼氏の名前)が私に隠れて浮気したり、風俗に行ってるのも知ってるけど、全然なんとも思わないわ。えみこちゃんもそういうスタンスでつきあって行けば、だんだん平気に、なんでも許せるようになっちゃうわよ。」

私は頭の中がパッと真っ白になり、クラっとし、同時に凄い嫌悪感がゾワゾワと沸き起こりました。

「この人は、カッコいい女だと思っていたけど、カッコ悪い。」と思いました。
「そんな、伸びきったパンツのゴムひもみたいにユルい女になるくらいなら、疲れるけどまだヤキモキした方がいいわい!」というセリフも心の中で叫んでいました。
本当に、自分の好きな人が浮気したり自分以外の人に触っても、悲しくならないの?そこがまず、解りませんでした。今となれば、この彼女も、そういうスタンスでいることがカッコいいと思っている人だっただけで、心の中では色々と辛かったんだろうな、と思えますが。
 
まあ、そういうならばと、必殺・逆フラッシュバックを用いて32才になった自分の視点から18才の自分を振り返ってみましたが、その時想像した32才の私も、「この人の言う事は鵜呑みにしちゃ駄目」と言っていました。

私は自分がヤキモキしたりする事からは「解放」はされたかったけど(疲れるし、そんな自分がイヤだから)、自分の本当の感情に嘘を付いたり、見て見ぬ振りをする事で、感情を「鈍らせること/鈍いフリをすること」が方法の一つだとは、考えてもいませんでした。そんなものが「大人の恋愛」なら、そしてそれがクールとされるなら、この世は終わってるな、とも。

その時に、「私は今18だけど、今感じている全ての感情は、きっと年を取ってから振り返ればそりゃ子供じみているだろうし、間違っているかもしれない。でも、無理して背伸びして、達観したようなフリをするのはやめよう。」と決めました。「痛みを麻痺させる麻酔薬があればそりゃあ楽だけど、そんなつまらない人生はごめんだ。」と。

それから10数年、その時の「お姉さま」の年になり、18才だった当時、恋愛に限らず複雑にもつれていた感情の糸は大方解きほぐされ、シンプルになり、生きるのが随分と楽になりました。そして重要なのは、それが汚水も濁水も清水も含めて、時間をかけてろ過されて純水になったゆえの「シンプル」であって、決してもとから純水(or 純粋)だったワケではないこと、心を誤摩化したり鈍らせたりのズルはせずに成し得たことだということ、です。
(そう考えると、年を取れば取る程、清濁合わさった果てのピュアになる、という現象も、納得がいきます。)

それはただ単に、バカみたいに、悲しい事や辛い事と取っ組み合ったり(避けたかったけど、向こうからやって来るもんですから...)、泣いたり笑ったり飛び跳ねたりボーッとしたり、毎日毎日、喜怒哀楽をただただ感じていた、というだけですが。誰もがやっていることですね。結局これからも、ズルや回り道は出来なくて、その方法しかないのかな、やれやれ、長くてしんどい道だな、とは思いますが。

「ベルリン・天使の詩」という映画の中で、人間になりたい天使が「永遠の命」を代償に人間になる場面があります。大学の授業で見たのが最後なので不確かな記憶ですが、たしか、人間になった瞬間、「痛い!寒い!ワーイ!」と言って狂喜乱舞していた気がします。(ほんとにそんな映画だっけ...間違ってたらごめんなさい。。)

永遠の命と引き換えにしても、「感覚、感情」があって、痛さでも寒さでも、それを「感じられる」ということがどれだけ幸せなことか、という考え方もあるんだということを、この時知りました。

この映画を観たのもまた、エミコ、18才の夏でした。


追記:
死後から「今」に逆フラッシュバックしてみれば、「いやー、あン時はどん底で痛くて辛かったけど、雲の上で何にも感じない今よりは面白かったなー。」と思うかも知れません。
そういえば、三池崇史監督の「13人の刺客」という映画の中でも、稲垣吾郎演じる暴君が、斬られて、死の間際に痛みを感じることで初めて「生」を実感するシーンが印象的でした。

2011年7月24日日曜日

Memory of HeeJung Hong

HeeJungという私と同い年の友人がいて、彼女の訃報が届いたのは今朝でした。

正確に言えば、20日に携帯メールに"Funeral ceremony for HeeJung Hong"という件名で、葬儀の場所と時間が送られて来ていたのですが、彼女は写真家/アーティストであり、その可愛らしい顔とは裏腹に、常に世の中に対して疑問を投げかけるような作風であったために、私はこの招待状も完全に彼女の新しいアート展示オープニングかと思っていたのです。

場所はフラッシングと言ってクイーンズの果てのような場所、普段の私ならば99%、遠慮するところでしたが、今月頭に彼女から「びっくりニュース!私、9月あたりに韓国に帰ることになったの。エミコchan、なにがなんでもその前に会わなきゃ駄目だよ!!」とメールを貰っていたので、もしかして予定が少し早まって、送別会を葬儀屋でやることにしたのかな、変わってるけどヒジョンらしいや...確か23日、今日だったなと思い、携帯メールを返信しました。「今夜のって、新しいアート展示なの?なににせよ、もうすぐ韓国に帰っちゃうんだから会いに行くよ!」と。しばらく待っても返信がないので、彼女にしては珍しいな、でも準備で忙しいのだろうかと思いつつ、何か腑に落ちない感じがしたので、Facebookを開いてみた所、彼女のページは友人達によるメッセージで埋め尽くされていました。殆ど全てが韓国語だったのですが、時折挟まれるヒジョンの病室での写真と、英語でのコメント〜"I will miss you..."〜を見ているうちに、「この"miss"はNYから居なくなるという意味ではない?まさか...」 極めつけが病院で撮影したと思われるビデオレターでした。これもまた、韓国語で話しているので何を言っているのかはわからないのですが、その努めて明るく、笑顔で話す彼女を見ている内に、何かもの凄く重く冷たいずしんとした感覚を胸に感じました。すぐにヒジョンに電話をした所、留守電になりました。その時ようやく、原因はわからないけど、ヒジョンはほんとに死んでしまったんだ、と理解しました。
さきほど聞いた所によると、今月半ばに胃の痛みを感じて病院へ行ったところ、末期の肝臓ガンで、すぐに手術をしたものの、容態が悪化し、翌日の午後には投薬で眠るように息を引き取ったとの事でした。

ヒジョンとの出会いは約3年前、英語学校でクラスメイトになったことでした。
ビスコのパッケージのような童顔の彼女が可愛くて、授業中にプリント用紙の端っこにこっそり似顔絵を描いては、ちぎり渡して笑わせたものでした。私がその学校から離れた後も、Flatiron地区にあるAntholopologieというお店で買い物中にバッタリ、それから暫くして、彼女がうちの近所のイタリアレストランのテラス席で食事をしているところをたまたま私が通りかかってバッタリ、それから32丁目のコリアン街にある公園を私が無心で散歩している時にもバッタリ、と、「私達って何かあるね〜」と面白がっていました。そして、バッタリ会う時は必ず、お互い何か、悩みと言うよりも、自分とはちょっと違う角度から状況を見てもらって、スッキリして笑顔で背中を押し合う、そんな人を求めている時で、そして彼女は私にとってその役にこの上なくぴったりの人でした。まるで困った時にひょこっと現われるイタズラ好きの妖精みたいな子だな、とも思っていました。いつもニコニコ、コロコロと笑って、強い優しさのある、なにか達観しているような子でした。お互いのNYで達成したいことの話、男の子の話、家族の話、好きな食べ物の話、それから勿論くだらないことまで、3分に1度は笑い話を混ぜながら、何でも話しました。

 葬儀場へは大体ブルックリンの家から1時間半くらいかな、と思って出発したものの、途中乗り換えを間違え(LIRRという鉄道を使うべき所を7線の鈍行に乗ってしまった)、2時間以上もかかってしまいました。Flushingという、地下鉄ではクイーンズの終点の駅からさらにLIRRで4駅、Broadwayという聞いた事も行った事もない駅に辿り着いた時は辺りが暗くなっていました。そこから(地図を持っているのに)さらに少し迷って、ようやく着くと...葬儀は終わっていました。だーれも居ない真っ暗な、ドアすら開かない葬儀場の前で自分に「なにやってんだか、バカ」とため息をつきました。対面したかった。あんなに会いたいと言ってくれてたのに。でもきっと、ヒジョンはそんなマヌケな私を見て、"Emiko-chan, you are always like that! Even at my funeral! You clumsy Emiko...".と笑っているんだろうなと思ったら、なんだか「へへへ」と小さく笑えてきました。

帰りは約1時間はマンハッタン行きの列車が来ないというので、駅の横にあった殆ど英語の通じない韓国料理屋に入りました。もうとにかく、すごく辛いものが食べたい気分だったので、スパイシー・シーフードヌードルを注文。
フラッシングは巨大な韓国街でもあるので、さすがに美味しいなと夢中でフーフーたいらげつつ、韓国人でありながらキムチや韓国料理が苦手だったヒジョンを想いました。私は韓国料理が大好きなので、「私の方がよっぽどコリアンかもね。」と笑い合ったものでした。

帰りは間違えずに、早くマンハッタンに着いたので、Penn Stationから今度はマンハッタンのコリアンタウン、32番街まで歩きました。ヒジョンは甘いものが好きだったっけな、と思い出してたら食べたくなっちゃって、コリアンベーカリーでクリームパンを買って、歩きながら食べました。通りかかったコリアンカフェの前でも「ヒジョン、ここのホット・サツマイモ・ラテも好きだったな」と思いましたが、熱中症で死者も出ている最近のNY、心の中で「ごめんヒジョン、今度涼しくなったら飲むわ」と謝りながら通り過ぎました。


彼女は私がこれまでの人生で会った人達の中でもとくに素晴らしく、間違いなく一生忘れない女の子です。出会えた事、本当に良かったです。






2011年6月23日木曜日

feednfed



Fed up with those boring illustrations? 



       ...Try "feednfed"!











When I met him -This illustrator "feednfed" - for the first time about three years ago, I had no idea that he was such a talented artist, until he contacted me as he had some questions about Printmaking this February.

We met at this Ramen restaurant in East Village, talked about our updates, and as we were slurping up the noodles,  he showed me some sketches.  As soon as I saw his art works, I was totally blown away and thought..."Noodle!". Yes, the most remarkable part of his work is, "Hair", which looks like a dense pile of noodles for me.

前回の予告通り、私が久々にガビ〜ンと来たイラストレーターの方をご紹介したいと思います。

彼〜通称"feednfed"氏〜と出会ったのは約3年程前、その時は話が凄く面白いなー、とは思ったものの、このような才能の持ち主だとは知る由もありませんでした。今年の2月に印刷の事で聞きたい事があるので、と言う事で連絡を頂き、イーストビレッジに出来たラーメン屋で久々にお会いして、お互いの近況報告をした後、麺をすすりながら作品を見せて頂いた所、、ぶっとびました。

その時見せて頂いたのは確かサイケデリックなイラストだったのですが、脳裏に浮かんだのはズバリ 「麺!ヌードル!」でした。待ち合わせがラーメン屋だったのはただの偶然として、そのジンジョーじゃないほどに緻密な髪の毛の描写が、幼い頃に好きだっ たシュールなソングブックの中の「オン・トップ・オブ・スバゲッティ」という、スパゲッティの上のミートボールがどこまでももつれもつれて転がって行くと いう歌の、シュールな挿絵を私に思い起こさせたのでした。(この絵は姉妹共にある種のトラウマとなっています...)

On our third meeitng at a Mexican restaurant, he showed me more sketches and that time, I strongly suggested him to draw politicians.  As you can see, he has his own, unique way of drawing portraits of random people. And I thought since he depicts the inner/hidden sides of human beings(..oh lord, I do not want him to draw me..!), politicians must be a perfect subject as their thoughts are all appeared on their faces.  Especially, when there's a Presidential Election coming up next year, and as I think "face" is a raw thing which changes every day, now is the timing, when their inner voices "I'm the next President of the United States!" is all written on their faces loudly...

In just few days after the meeting, he sent me what he drew..


その後、3回目の打ち合わせのメキシカン・レストランにて、さらに大量のスケッチを見せてもらいました。その時、人間の内面をコミカルかつシュールにえぐり出すような独特のポートレイトに私が目をまるくして「...政治家の顔を描いてみませんか!?」と提案したのは、以前書いた記事でも触れたように、人間、特に政治家という職業の人は、イヤらしさや並々ならぬ野望や熱意、その他内面の全ての要素が顔に滲み出ていて、素材としてとても面白いと思ったからでした。特に、彼が描けば面白いものになるに違いない、そう確信しました。

さらには来年2012年は米大統領選挙の年、顔が生モノだとすれば、まさに今が、オバマに対抗して「我こそが次の大統領に!」と顔にバビッと書いてある政治家の顔の旬!刈り入れ時!描き時!という事で..。

ブリトーをメキシカンビールで流し込みながら、「やりましょう!」と彼がふたつ返事をしてからたった数日後には、このような凄いクオリティの絵が送られてきました。("早描きのfeednfed"という異名を特許申請中。)



-click to enlarge-



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Q: Emiko
A: feednfed


Q: What did you feel when you were drawing these politicians?

 政治家を描いている時、何を感じましたか?

A: I felt its more about "Human Nature" before they are politicians. I strongly felt "Fame&Fortune" on some of their faces.
 政治がどうこう以前に、富と名声に対して欲望むき出しの人間らしさみたいなものを感じました。


Q: What do you listen to when you are drawing?
 絵を描いているときは、何か音楽を聞いていますか?

A: I listen to Punk, Slush Metal, such as "Suicidal Tendencies" , "Mcrad", "Bad Manners", "Buzzcocks" "Judas Priest", and "Metalica" when I'm concentrating on drawing.
 主にパンクやスラッシュメタルを聞いています。特にSuicidal TendenciesやMcrad、Bad Manners、Buzzcocks、Judas Priest、それからメタリカなんかを聞いています。

Q: What is the concept of your website?
 ご自身のウェブサイトのコンセプトは?
A: I intended to make it look like a cheap, dated American porn site which I think the design and colors are cool.  デザインや色遣いが好きなので、昔のアメリカのチープなポルノサイトを意識しています。
 
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We  are now working on a collaboration project using his illustrations of politicians and my Letterpress, and will be start selling it from Augest, so please stay tuned!! ;)  


私の方もちょうど、活版印刷機を手に入れたので、彼の政治家達のイラスト(ここに載せていないものもあります)と活版印刷のコラボレーションのプロジェクトを進行しています。8月には(夏に合う、あるアイテムとして)商品化する予定ですので、どうぞお楽しみに!&よろしくお願い致します☆ 
※彼の描くような線に特徴のある絵と活版印刷はとても相性が良いのです。乞うご期待!


oh, and any Feed back appreciated!


2011年5月21日土曜日

Itsy Bitsy Spider


カーリー・サイモンは、父の買ったレコードが小さい頃から家にあったので知ったのですが、「綺麗だけど、少しゴリラっぽい顔だな」くらいに思っていました。
それから年月は経ち、日本でパッケージデザイン会社に勤めていたある年の年末、大掃除をしていて、先輩デザイナーで仲良し/銀座付近のランチ開拓番長だった中尾さんが、「渡辺さん、ちょっと休憩しよ。Kちん(旦那様)がカーリー・サイモンのDVD買って来たのよ。」と言って、パソコンで再生してくれたのがこのPVでした。曲調と歌詞の内容も大好きなのですが、このライブ映像にとにかく、グッと来てしまったんです。
うす紫色の夕暮れの港町で、みんながゆったりと風に吹かれて気持ち良さそうに歌を聞いている様子に。
いつか行ってみたいな、こんな港町。

Carly Simon "Coming Around Again 〜Itsy Bitsy Spider〜"



Baby sneezes
Mummy pleases
Daddy breezes in
So good on paper
So romantic
But so bewildering

I know nothing stays the same
But if you're willing to play the game
It's coming around again
So don't mind if I fall apart
there's more room in a broken heart

You pay the grocer
Fix the toaster
Kiss the host Good-bye
Then you break a window
burn the Soufflé
Scream the lullaby

I know nothing stays the same
But if you're willing to play the game
It's coming around again
So don't mind if I fall apart

there's more room in a broken heart


And I believe in love
But what else can I do
I'm so in love with you

I know nothing stays the same
But if you're willing to play the game
It's coming around again

The itsy bitsy spider climbed up the water spout
Down came the rain and washed the spider out
Out came the sun and dried up all the rain
And the itsy bitsy spider climbed up the spout again

I believe in love
And who knows where or when
Bit it's comin' around again

I know nothin' stays the same
But if you're willing to play the game
It's comin' around again


小さな蜘蛛が噴水をよじのぼった
そこに雨が降って来て蜘蛛を洗い流した
そこに太陽が昇って来て雨を全部乾かした
そして蜘蛛はまた、噴水をよじのぼった

「万物は移ろいゆく、だからまた、(いいことも)巡ってくるよ。」
という歌です。

2011年5月20日金曜日

いつも心にちゃぶだいを





祖父母

身内ながら、なんてかわいい祖父母なんだろうと思う。


よく、家庭とは社会の縮図である、と言いますが、本当にその通りだなと思います。
最近、実家で色んな変動があり、両親・姉と電話で話していて、さらにそれを実感しました。

たとえば、
姉は自分で「石橋を割れるまで叩いて、そこからどうするか考える」タイプ。(熟考型)
私は「橋を飛んで越える、もしくは石橋ならまだしも糸で出来た橋だろうと渡ろうとするタイプ。」(無鉄砲型)

...だね、と電話で話しました。でも確かに性格は全く違うけれど、それでも2人にしか解らない、共通の感覚があるんですよね。上手く言えないですが。
子供の頃の記憶で、姉と2人でどこかの森の中で迷ってしまったことがあって、私は恐くて完全に震え上がって泣き始めたのですが、その時に、自分も絶対に恐いにも関わらず、私に向かって「エミ、ぜったい大丈夫だから。」と光の見える方にキッと手を引いてくれた強さが、姉の本質だと思ってます。

左が私で右が姉


また、母は昔から、羽衣をまとって空でフワフワと遊んでいるような、芸術家肌で神秘主義(スピリチュアル)な人。

父は真逆に現実主義者で、堅実な人。
って、この写真ではそう見えないケド。。
ちなみにココは、Luke's Lobsterという、East Villageにあるロブスターロールがカジュアルに食べられるお店!


この↑写真では少し可哀想なので(私は好きですが)、父の名誉のためにキメ写真も載せておきます!
かんぱーい

もいっちょ、カッコイイの。


で、末っ子の私はと言えば、このブログの内容のような変な女...。


改めて、ここまで全然個性がバラバラのメンバーが一生関わり合っていくって、過酷な事、持久戦、耐久戦にもほどがあります!
でも同時に、毎日100人の新しい人達と会うよりも、よっぽど深い学びがある、と思います。
辛い、面倒くさい、気が合わない、だからもう付き合うのやーめたっ って匙を投げられない所がポイントだと思います。そこに生まれたからには途中下車は一切なしヨの関係。

腹を据えて向かい合う、腹を割って話し合う、腹が減ったら分かち合う。

まんまるに幸せな家庭などないのだから、ゴチャゴチャにもつれ絡み合ったまま、団子状になって一緒に転がって生きていけば、お互いの駄目な部分もきっと愛しくなってくるってもんです。


面白いな、家族。
ちゃぶだい一つあれば、結びつく。


永瀬清子さんのちゃぶだい 
谷川俊太郎                        
  
  
 ちゃぶだいの上に飯がのった
 煮付けた大根がのった
 目刺しがのった
 トマトがのった
 ちゃぶだいの前に男が座った
 女と子どもたちが坐った
 沈みかけた太陽と
 遠い海と
 隠れた権力者と
 さまよい続ける兵隊が
 ちゃぶだいをかこんでいる
 指と爪の間に詰まった土をそのままに
 女の手が飯をよそう
 ちゃぶだいの畑で
 言葉は物言わぬ種子
  
 ちゃぶだいの上にノートがのった
 万年筆がのった
 出がらしの茶がのった
 一日の終わりの静けさがのった
 ちゃぶだいの前に女は座った
 乾いた月と
 ばらまかれた星と
 色あせぬ恋の秘密と
 国々の風の記憶が
 ちゃぶだいをかこんでいる
 昼間のからだの火照りのさめぬまま
 女の手が万年筆を握る
 ちゃぶだいの祭壇で
 言葉は天を指す緑の茂み
  
 日々の汚れた皿が
 永遠の水にすすがれている
 今日のささやかな喜びが
 明日への比喩となる
 永瀬さんのちゃぶだい


※永瀬清子=妻であり母であり農婦であり、旺盛な詩的活動を行った詩人。宮沢賢治の雨ニモマケズを発見した人でもある。